好きの基準
12.11.26
私は人に対して「嫌い」がたぶんないんです。
「この人と接するのはめんどくさい」
「この人はこんな風になってしまって可哀想だな」
などと思うことは多々あります。
が、嫌いではないです。
たぶん「自分にとってどうでもいい人間」です。
で、好きになる基準ってのがあります。
たぶん、どこかで自分とリンクする人間を好きになるんだと思います。
私は「天才型」と言われてもムカつくし、「努力型」と言われてもムカつくし、難しい人間なんですが、ただ何事も全力でやる人間だとは思います。
自分なんかより賢い人間たくさん知ってます。
馬鹿話しかしない友人に対しても「こいつは自分の何倍も賢いだろう」って思いますし、フットサルをしてるチームメイトや対戦相手にも「なんでこいつはこんなに賢いんだろう」って思います。
今、一緒にお仕事させていただいている方々に関しても「自分はそういう風に振る舞えないなー」と感心することばかりです。
で、努力型かと言われたら「努力する」って定義がよくわからなかったりします。
ただ、夢や目的を語る方々を見るとたいてい「もっとやらんとあかんのちゃう?」って思ってしまいます。
努力って言葉を口にする人は自分で自分に酔ってるような気がします。
それって目標達成のための当たり前の事でしょって。
ということで、私は「一生懸命な人」が好きなんです。
人間、不公平ながらひとりひとりキャパシティが違うって私は思ってます。
一生懸命に頑張っても10求められて10返せない人もいると思います。
でも、3求めたら3はちゃんと頑張ってやってくれる人もいると思います。
残りの7をどうにかしてやるのがリーダーの役目だろうし、私はたぶんそういう子になるように両親に育てられたような気がします。
「実家が堀江です」と言うと、超都会っ子みたいですが、うちの両親は鹿児島の離島と福岡の山奥からやってきた超田舎者です。
だからか何か知りませんが、めちゃくちゃおせっかいです。
私はどっちの血が濃くてもおせっかい人間であることには変わりないと思います。
先天的に。
「どうにかしてあげたい」ってのが私の採用基準なんだと思います。
と、YouTubeでマネーの虎を見て、高橋がなりに共鳴しながら思う私でした。