デザイナーを夢見る
永遠の少年少女たちのバイブル

しゃちょうのブログ

99%の虚像と1%の真実

13.04.22

ブライアント

ブライアント顔怖すぎ!

ということで、画像はあいかわらず撮り溜めしたやつを小出しにしているわけですが、今日は「演じる」というお話。

だんだん、為末大のツイッターみたいな立ち位置になってきました。

友人曰く、私はよく「演じる」という言葉を使うみたいです。

で、実際、自分が思い描く素敵な「坂元剛」像を演じてるんです。

寝たい。

ゴロゴロしてたい。

仕事休んでボーッとしたい。

フットサルばっかやってたい。

初動負荷トレーニングがんがんにやりたい。

という内面を封じて、事務所の代表である自分を演じ、家庭内での自分の役割を演じているわけです。

実家だと長男を演じたり、弟を演じたりするわけです。

会社員時代でも役職を与えられたらそれを演じるし、スポーツでも役割を与えられたらそれを演じようとするわけです。

そうやって自己を形成しています。

じゃ、それが嘘をついているかといえば、それは違うんです。

私は学生時代プロレスが大好きでして、プロレスの本を何回も何回も読んでた子だったのですが、今考えたら、プロレスって結末が決まっているショーだったわけです。

で、そのプロレス雑誌の編集長だったターザン山本っていうダメ人間が言ってて納得させられたのは

「プロレスもキャバクラも一緒」

「キャバクラで行われていることは99%が虚像だけど、その中に1%の真実があるんですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

って言葉です。

なんとか賞をとった作家の平野啓一郎の言葉で私が鮮明に覚えているのは

「個性は出すものじゃない。決められた枠があっても、そこからにじみ出てくるものだ」

って言葉です。

私は子供の頃からそんな感じで「この場で今自分はどう振る舞うべきか?」を考えてしまう子だったので、どれが本当の自分かなんてよくわかりません。

AB 型とあいまって「二重人格やな〜」とか言われたりしますが、二重で済まないんちゃうんかなと思いますし。。。

社会を生きていくって演じ続けていくことなのではないの?と思います。

自分らしさってのはそこからにじみ出てくるものだと思います。

演じているようで、台本も何もないので常にアドリブなわけです。

今、演じているのは「最高の坂元剛像」であり、「お父さんお母さんが自分を産んだ時にこうあって欲しいって思ってたであろう坂元剛像」なのです。

ま、独立して欲しいとは望んでなかったとは思いますけど。

それがうまく演じきれなくなったときが自分自身迷いのさなかなのなかとかは思ったりしますが。

早口言葉みたいですが。