山を歩くときづくこと
13.05.13
昨日はウォーキングへ。
暑さは苦しかったですが、普段完全屋内生活を強いられる私にしたら、開放感の方が大きいです。
アウトドア人間ってわけではないのですが、2年前まで深夜にダッシュをするような生活をしてたり、ジムで正しいカラダの使い方を散々トレーニングしてきたりしたので、肉体的には大丈夫みたいです。
人間のカラダと深層心理は本能に正直であるってのが自分の考えです。
舗装されていない山道を歩いて、肉体的な疲労が出るということは、歩き方が悪いということだと思っています。
肉体的な疲労、カラダの痛みは本能からの正直なメッセージってことだと思います。
「平坦な道が普通」という社会はここ100年以内の話だと思うので、それだけ人間が自然じゃない歩き方になってしまっていることなんだろうなとか、いちいち歩きながら思ってました。
デザインというものもどれだけ相手の深層心理に手を伸ばせるか。
本能をくすぐらないといけない、わしづかみにしないといけないんです。
デザインっていうか、人との交わりは全てそうなんじゃないかなって思っています。
右に向かうも左に向かうもそれを正当化する理由は存在すると思います。
理由なんて後付けできると思います。
大切なのは本能が欲しているかどうかなのかな、と最近思います。
日々迷い、日々変化。
常に壁は目の前に立ちはだかりますが、とりあえず自分が全力を尽くせているか、もう一度確認することからだと、山を登るだけで考えこんでしまう私。
山って深いですね〜。