恐怖心の仕組み
20.03.05
起業して9年目の私。
「将来フットサルのキーパーコーチや、子どもたちに正しいカラダの動きを教えるトレーナーになりたいなぁ」とかは思ってましたが、デザインをベースに社会人の方々、大学生の方々、そして高校生たちを教えて育てる業がメインワークになり、ライフワークになりそうな感じです。
そんな感じで「人に教える」ということは、たくさんの知識がないといけないし、それはリアルな経験であればあるほど説得力を生みますし、知識を得る、体験すること、そしていろんな人と会って話をすること。
積極的に取り組んでます。
それらがあれば人を教えて育てることができるか?
答えはNOなのです。
今の私の能力値ではまだまだNOなのです。
人を成長に導けるかどうかは、相手の人が動くか動かないか次第です。
動くことを妨げるのは恐怖心です。
好奇心を持つ人はどんどん動いてくれます。
どんどん動き、どんどん成長します。
恐怖心を好奇心に置換えることが、私の教育の一歩目です。
私が人を導くときにいつも邪魔してくるものは恐怖心です。
とは、恐怖心とはどこから発生するかを説明しましょう。
なぜ、恐怖心を人が持っているかといいますと、人にとって恐怖心は必要だからです。
恐怖心がないとどんどんムダ死にしていく人が増えるでしょうし、繁殖もできなければ、社会の安定も成り立たないでしょう。
ということで、誰しもが持っていて当たり前のものだとは思うのですが、今の社会問題は何も危険はないのに、脳内で自分で勝手に恐怖心を築き、それを育ててしまうことだと思います。
従来は本当に生命体としての死だったのですが、今は社会的な死に対する恐怖心が一番の恐怖心じゃないのでしょうか。
社会に嫌われる。
社会から阻害される。
「何か失敗することは、社会においての死を意味する」というイメージに支配される脳。
現代の文明化された社会。
人間が本来持っている本能が、現代社会に全く合っていないことが原因ではないかと思っています。
家族や村以外の人。
違う地域の人。
違う民族の人。
違う国の人。
それらが一緒に働く、社会を築くことになったのは、人類の歴史というものさしで考えると、ごくごく最近の話ですよね。
カラダを使って食物を育てたり、獲ったり、何かを作ったりすることを黙々と続けることを求められていたのに、そういう仕事は極減し、
「人とたくさん話をすること」
「人に物を買わせたり、喜ばせたり、心と行動をコントロールすること」
が仕事になったのって本当にここ十年ちょっとの話ですよね。
慣れない人がたくさん出ても当たり前なのかもしれない、と。
人間の高すぎる想像力が築き上げてしまうモンスター。
日々寝る能力の高さだけは発揮し、嫁から“令和ののび太”と称される私。
私は
「何も動かないことは、自分としての死」
と思ってます。
「何かをして失敗することを死とする」か。
「何もせずに、そのまま衰えていくことを死とする」か。
恐怖心の置き場所の違いが成長するか、イジけながらずっと同じ場所に居続けるかの違いに変わると思います。
はい、終始真面目。