デザイン=社会の一瞬を切り取ったもの
20.03.28
コロナ、大変です。
こういう時にデザイナーとしてやっておくべきことをお伝えしておきます。
私達が担うグラフィックデザイン(ウェブデザイン含む)は、「社会の一瞬を切り取ったもの」だと思います。
誰にでもある一瞬。
自分も将来体験したいと思う一瞬。
そんな一瞬を再現し、人の情動をコントロールする。
そういうお仕事です。
それは社会の一瞬一瞬だと思います。
普段当たり前だと思って享受している数々のことが当たり前じゃないんだということを、このような非常事態は教えてくれます。
私、高校3年生の時に阪神大震災を経験しておりますが、あのときは受験前でありながら、朝から晩までずっとテレビを見てました。
同じ映像を何度も何度も見せられた気もします。
CMが、ポイ捨て禁止ー!と叫ぶ中野浩一のハイボイスと瀬戸内寂聴さんの熱いメッセージが交互に出てくるだけという非常事態。
今まで自分が当たり前と思っていたものが崩壊する、テレビ、映画、漫画でしか見たことない映像の数々。
「これは受験勉強なんてしてる場合じゃない。この映像を目に焼き付いておかなければいけない」と、当時の私は思いました。
全てが当たり前じゃない、諸行無常であることを改めて思い知らされ、生きるとは何か? どう生きていくべきか? ということを人生で初めて考えるきっかけになったと思います。
そして、起業前ぐらいに起こった東日本大震災。
日頃当たり前に享受していて、よく見えていない社会の輪郭が、非日常を通して見えてきます。
デザイナーは、社会を切り取り、強調するお仕事という側面もあるので、社会を見る解像度が一般の人より何倍も何倍も高くないといけません。
それがデザイナーや何かをつくる仕事の人の能力の差を導きます。
今回のコロナ騒動は、震災とは違う性質を持っています。
いつ終わりが来るかわからないこと。
ボーダーレス化していく、国と国との境が文書上のルールでしかないことをより明確にしていく、世界中への感染。
インターネットの発達により、誰でもどこでも情報発信できるようになった社会が引き起こす情報によるパニック。
騒動を通して、社会の変化も見えてきます。
社会の写し鏡になります。
社会のキワをしっかりと目に焼き付けておく。
脳に焼き付けておく。
大学3年の時にアイスホッケー部で入れ替え戦で負けてしまい2部リーグ降格。
泣き崩れながら、相手が胴上げして狂喜乱舞している姿を目に焼き付けていました。
1点差で負けたのですが、それがどういう差になるのか、今後の人生で自分は二度と勝者を見つめるだけの人間にはならないように生きようと心に決めつけました。
起業後、閉店した店、廃業した店、誰もいないガラス張りの店があったら、目に焼き付けるクセがついてしまいました。
自分もちょっとしたことでこうなる、そういう世界で生きているんだということを自分にきちんと認識させるためにじっくり見るようにしています。
人が何に怯え、どういう行動を取るのか。
感情がどういう行動を導くか。
いろいろと大変ですな現状ですが、その中で何を見てたかが、騒動の後の差になるはずなんで、不安を煽るだけのマスコミや政治家に振り回されずに、冷静に社会を見てみましょう。