大阪本町制作所

[綴る]

しゃちょうのブログ

スクロール

インターネット以前と以後で、人間の様々な部分に影響を及ぼす外的要因の質がガラッと変わったと思います。

インターネットの特性の一部として「リンク」「シェア」が挙げられます。

スポーツ界では幼少期から世界最高峰の技術を簡単に見れ、その理屈も検索したら簡単に見れ、意識の高い指導者たちもそういうものをどんどん吸収できる。

ので、野球だとダルビッシュ、マー君、山田哲人、ギータという、私が子どもの頃に見てた野球が泣きたくなるぐらいの化け物たちが現れてきました。
(当時のプロ野球選手はビジュアル的にはいかつくて化け物感はありましたが)

サッカーもカズがダンスを踊ったり、北澤がスタミナがあるというだけで日本代表に入れたりグンゼのCMに出れたりした原始的な時代から(そのまんまの野人岡野ってのもいて、足が速いというだけで日本代表に入ってました)、香川とか化け物みたいにどんどん増殖されているわけで(あんまり知らない世界ですが、こないだ見てたオリンピック予選の選手は全員うまかった)。

そんな感じで「ゆとり世代はうんたらかんたら」というのは間違いで、「意識高く、情報をどんどん吸収して進化するモンスター」と「生きれたらいい」という極端な二極化世代なのかなと思います。

というのを、Amazonで注文して病院のベッドで読んでた「KAMINOGE」にあった映画監督 小林勇貴インタビューを読みながら、なんとなく思ったわけです。

小林監督は現役デザイナーで、週末映画監督な25歳。

ビーバップハイスクール的な「俳優が不良役やってます」みたいなんが好みでないらしく、実際の悪い人たちに演じてもらって映画を撮った、と。

映画の知識は全くないけど、いろいろ検索しながらやりました。

デザインの知識・方法論が非常に役に立った。

「世界の中心で愛を叫ぶ」とかどうでもいい。

みたいなことを言ってて、「モンスターが出てきたな〜」と思ったわけです。

パララックスサイトを検索してたら登場した岡崎体育。

ゴッドタンで出てきた清竜人25の清竜人。

「すっげーの出てきた〜」と思ってるわけですが、彼らは皆さん「普通にインターネットがある」中で育ってきた年代。

私自身「私が学生時代にインターネットがあったら」という作文を脳内で何度も書いてますが、たぶん面白いことが理性を超えてしまって逮捕されてるか、今より何万倍レベルでの情報モンスターになっていたであろうと思うわけです。

そんな感じで、その後の世代、スマホ世代、うちの息子らの世代、どうなっていくんでしょですが、これからまだまだ奇才が登場してくるっていうことに興味津々です。

ということで、ブログ業代打屋稼業を新人猫大好きフリスキーさんにお願いしたのですが、それを見て思ったことをば。

Facebook。

Twitter。

もっといえば、2ちゃん、mixi、LINE、Google+とかも一緒ですが。

全てに言えることは、それぞれを作った人が思い通りの結果になってないと思うのです。

人間が勝手に自分たちで暗黙のルール、流儀を決めて、今の形になり、普及していったと。

Facebookは「リア充自慢大会」で表の顔。

Twitterは「愚痴およびかまってちゃん大会」で裏の顔。

それぞれの仕様により、そういう風な棲み分けになってる気がします。

「Twitter > Facebookなのは世代のせいでしょうか?」(25歳/匿名希望/会社員)さんからのご質問には、「幸せアピールしないと精神的バランスが維持できない年代と、世の中に迎合しないことがかっこいい尖っていたい年代の差だと思います」とお答えさせていただきます。

私の世代で「尖ってます」「ただし、お金はありません」っていうのは、「私は将来も諦めながら、自己肯定しながら生きていかなきゃいけないんです」っていう無能絶望宣言にしかならないので、Facebookの方が都合がいいんだと思います。

あ、今までの話は「発言することを生業としている方々」「広告プロモーション」としての利用の場合には当てはまらず、あくまで個人的利用という範疇の話です。

私はTwitterは情報収集ツール、社会の流れを認識するためのツール、いいも悪いも含めて私が興味のある人の行動言動チェックツールという感じで愛用しております。

あと、会社のTwitterは私なりのいくつかの計算があって、やっております。

こちらは計算以上の成果を出していると思ってます。

「ファボられてない」とかそんなことはどうでもよく、物事を考える単位がファボるとかの人は、世の中のほとんどの人はTwitterをやっていない、もしくは見るためのツールとしてしか利用していないという現実が見えてないんだと思います。

ということで、じゃ、SNSというものが何で成り立っているのかといいますと、それは人の業によって成り立っていると思います。

見栄。

嫉妬。

自己肯定。

弱音。

虚勢。

愚痴。

自分より下の人間を作りたいという気持ち。

いじめ。

偽善。

そのようなところでしょうか。

業は業でいいと思うんです。

面白ければ。

最近、岡崎体育さんという自称盆地テクノの方のPVが面白くって、ついつい見ちゃうのですが、「社会ってこういうのん大好きでしょ?」と完全にディスってるわけです。

でも、そこには彼の観察眼とそれを笑いに昇華させる能力があるから、「かっこいい!」と思い、見たくなってしまうわけです。

落語とは人の業を肯定すること。

そこに笑い、興味、関心、あほらしさ、あるかないかが重要であって、結局それらは見る人に向けるサービス精神、思いやりだと思うんです。

SNSはプラットフォームが重要なのじゃなくて、書く人の思いやりに依存する媒介ですということで。

それでは、野球見るのでここまで〜。

私、水曜日に急遽手術・入院しまして、本日土曜日に予定より早い感じで退院させていただいたのですが、皆さんにはご迷惑をお掛けしました。

申し訳ございません。

盲腸という、どうやって防いだらいいのか、そもそもどうなったらなるのか、よくわからない病。

切ってしまえば、再発の恐れほぼなしという病。

後悔しようにも何をどうしたらいいのかわからないし、とりあえず少しでも早く復帰することしか頭にはなかったです。

お腹切られる(内視鏡的なやつですが)ってめっちゃ痛い!!

と、術後は痛がってましたが、翌日ぐらいからそれも治まりまして。

起業してから自己の限界値という名のリミッターがちょっとだけ外れた状態なんだろうと思ってるので「急にガタってきたりするんかな。。。」という不安はあったのですが、長引くものでもなさそうで、そういう意味では運良かったのかも。

中国の偉い人曰く、人の体は8年に1度生まれ変わるらしく、私32歳の時に便所で気を失って白血球めっちゃ増えて嗅覚失って2ヶ月間ぐらい体調悪かったので、8年後の40歳何かあるのかなと思ってたら、40歳と7日目にして。

今はおうちで更新中ですが、まだ頭がボーッとしてるところもあるので、職場復帰は来週水曜日からということにしております。

病院のベッドでパソコンとネットさえあればできる仕事はやってましたが。。。

コンセントも多くて快適なワーキングスペースを実現できました。

そんな感じでいつもは仕事時間の合間に無理矢理ブログを更新する時間をねじ込んでいる感じですが、お休みの間は目指せ毎日更新!!

でわでは、本日のところはいざ在宅ワーキングへ。。。

ドストレートって話言葉では使うと思うのですが、文字にすると違和感ありまくりですね。「ドストレート」なのか「ド・ストレート」なのか、はたまた「どストレート」が正しいのか・・・。書き言葉ではないってことですね。そんなしょうもないことを朝から考えている腰山です。

・・・・・・・・・え?しゃちょうのブログじゃないのかって・・・?

我らがしゃちょうは、「おなか痛い」から始まり入院してしまいました。というわけでブログ代打を命じられた腰山がピンチヒッターならぬピンチブロガー(?)としてブログをお送りいたします。お楽しみください☆

その前に、念のため自己紹介をすると先週入ってきたピチピチ新入社員です。自他ともに認めるシャイらしいです。ただ、ブログは「シャイ」を感じさせないようなハイテンションでお届けできるようがんばりますね!!!

さて本題。私の髪はドストレートになってくれたことはなく、ストレートですらもなく、元気にハネてくれるので毎朝大変なのですが私はドストレートな表現をメディアを通じてしている人をみるとロックだこの人・・・!と思うのです。

あくまで「メディアを通じて」です。直接ドストレートはやはりグサグサくるので・・・。陰口よりはマシですが。

コミュニケーション要素が強いメディア、すなわちSNSは今やとても身近なものですがなんだかなぁ・・・と思ってしまう今日この頃。

そう、Facebookがものすごく面白く感じなくなってきてしまったのです。。。

ただ、Twitterは面白いというか居心地が良い、と感じるのです。

両者の違いは何なんだ?とあれやこれや考えた結果、TwitterにあってFacebookに足りないもの・・・それは「ストレートさ」なんじゃないかという結論に達しました。でも難しいんですよね。私のfacebookもいろいろ気を使いまくってたのでおもんないです。。。

Twitterってツイート短い上にタイムライン流れるのが早いので、ネガティブなことやドストレートな表現使っても気が楽なんですよね。

しかも読む方もそういったネガティブだったりドストレートだったりする表現を見てもあくまで「つぶやき」なのでお気楽な他人事として処理できる=負担がかからないのです。そして、心のどこかで自分以外の人もこんなふうに悩んでいてこんな思い持ってるんだ〜(ほっ)と安心しているんじゃないでしょうか。あれれ、人の闇がチラ見えしましたね・・・!

Facebookは記事っぽいので、Twitterと同じようにすると重っってなるか炎上するか、しょうもなさすぎていいね0とかになりそうですよね。Facebookまじめにやってる人はいいね0ってなるとあー悲しいってなりますよね。

そもそも両SNSには良い部分悪い部分があるので異なるSNSとして存在しているわけですが、Facebookの良い部分が薄れてきているのでしょうか。私の年代との相性が悪いのでしょうか。それとも時代的に終わっているのか。うーんわからない〜!

まだまだドストレート腰山には程遠いみたいです。

どうしても、うまくいってる人、こんな風に生きたいなという人、なんでこの人はこんなに頭がいいんだろうと思わせる人の本であったり、書きもの、読みものをいろいろ読むのが、マイライフワークなわけですが、みなさん同じこと言うてるわけです。

なのに、またもや読んでしまい、「やっぱそうやわなー」と共感してしまう繰り返し。

共通項は「できないと思うからできない」「なんでできないと決めつけるんだろう?」ということを書いていて、「どうしたらできるのか?」を考え、すぐに行動し、数えきれない試行錯誤を繰り返す、だいたいおんなじです。

私は幼稚園に入るまでは自分は万能だと思っていて、自分がやりたいこと、なりたいものは全て実現すると思っていたと思うのですが、幼稚園、小学校、中学校と「社会」に接するにつれ、自分がたいした能力じゃないという現実を実感させられ、高校、大学、社会人と進んでいく中で、社会の中でどう振る舞っていいのかがよくわからなくなり、場所場所によって、自分を使い分けるようになり、なるべく自分の感情を表に出さないようにして生きてきたんだと思います。

「社会に参加すること」=「妥協」「あきらめ」「迎合」「契約」

と思ってて、ムダなこと、アホなことに付き合っていくことに意味を見出せなくなり、自分が当たり前と思う方法論でやってみて、通用しなかったら、本当に自分は社会不適合者として納得するしかないので、またあきらめて生きていくのか死ぬかどっちか考えようということで起業して今に至る。

ということで、自分の能力のなさ、凡人レベルの頭脳ということは重々に自覚しており、そこからどうするかが20代後半からの自分の人生のテーマだったんだと思うのですが、

「できないこいとは残念ながら、ある」

「できなくても、そこに近づくことはできる」

「そこに近づけないのは自分の努力不足であり、人間として負けてるだけ」

という考えが、私の根底にあって、能力がないのは持って生まれたものとか環境とかいろんな要因があると思うのですが、努力してないのは単なる自分の怠慢以外の何物でもなく、それを遺伝子や社会環境のせいにするのは本当にかっこ悪いと思ってるわけです。

自分に負けるのは、人として本当にかっこ悪い。

そんな感じで今日はお休みなので真中監督の本を読みたいですが、そんな時間はナッシング。

西松屋に家族と行かねばならないというミッション・オブ・インポッシブルが私を待つわけですが、二宮金次郎ばりに読書しながら西松屋でショッピングというわけにもいかないわけです。

歩きながらスマホでお勉強してたら、歩きスマホは危険ですと怒られたりする時代。

ニノキンに近づきたいけど、近づけない。


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