今朝、自転車に乗ってたら、クラクションが連発される音が。
遠目に、信号無視するご老人とそこに向かう自動車の姿が。
「信号を無視する人間は悪だから、不快な爆音を連発するのは正義」
という意思表示なんだと思うのですが、遠目にいる私的には信号無視してるご老人には何の不快感も与えられませんが、「不快な爆音を連発する正義感」には殺意を覚えます。
これは家の駐車場の前が、不法駐車に占領されて入庫できずに、一生クラクションを鳴らし続けてる輩も同列です。
うーん。
そもそも、なぜあんなにクラクションの音は不愉快なんでしょう。
神や仏と並び称されることすらある穏便な私ですら、後ろからブーって鳴らされたら「なんやわれ!」モードに変わります。
ライガーが鈴木みのるに怒ってマスク脱いだら、オバQみたいなメイクで包丁振り回す姿に極似してるかもしれません。
クラクションの音がファミリーマート入店時に流れる音とかだったら、もしかしたら全く不愉快ではないかもしれません。
でも、クラクションには「不愉快な音で危険を知らせる」という意味があるわけで、入店したくなるようなキャッチーなメロディでは意味をなさないわけです。
ガスが臭いのも同じような理由だったと思います。
ガスがピコレットみたいなニオイだったら、妖精出てきそうですしね。
それにしても、クラクションの音、ただ「ブー」って鳴らしてるだけなんですが、「このカスどかんかい!ダーホ!ワレ!」って聞こえますよね。
そして、クラクションの音が不快というより、クラクションを連打する人間の心が不快って方が大きいのかもしれません。
「ここは俺の道じゃ!どけやボケ!」
「どけやボケ!」
「ボケ!」
「ボケ!」
「ボケ!」
に聞こえる。
ここ、あんただけの道ちゃうし、世の中にはいろんな人がいるわけで。
SNSや巷で溢れる正義感と社会の実情が全くイコールになってないことへの気持ち悪さを感じながら、今日も私は生きていきます。
ピポパポピポ♪ ピポパポピ♪ (ファミマの入店音を鳴らしながら)