大阪本町制作所

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しゃちょうのブログ

スクロール

京都で起こった放火事件。

「放火しないといけない正当な理由」は1%もなさそうで、怒りとやるせなさを感じるのみです。

私のお仕事はいろいろ考えることだと思っているので、私なりにいろいろ考えてしまいました。

社会でいろんな事件、事故があり、もちろん加害者を肯定する気はないですし、被害者のことを考えるといたたまれない気持ちにならざるをえないです。

それらを前提としてお話をしますと、加害者も「社会が産んだ人格」なんだと思ってしまうことが多々あり、「この人は加害者であり被害者でもあるのでは?」と心の奥がむず痒くなります。

これは大事件、大事故だけじゃなくて、社会生活を営む中でいろんな壁にぶつかるわけですが、人の美しい部分にたくさん出会いつつも、人の醜い部分との出会いから逃げることは不可能な気がします。

その醜さに対する怒り、その当事者に対する怒りを最初に感じることはあっても、いつも「あの人も被害者なのでは?」との思いが頭の中を駆け巡ります。

「そもそも私達人間の脳が劇的な社会の変化に対応しきれてないのでは?」という私の永遠のテーマがあるのですが、その社会に対応できてない人が私も含めてたくさんいるんだと思います。

逆に大人の言うとおりに純粋真っ直ぐに生きてきて、お利口さんに無事大学に入り、大学卒業後ロケットのように切り離されて、どう生きていいいかわからない方もたくさんいるんだと思います。

そして、今は社会にすがらなくても生きていける世の中なので、その中でネットという仮想世界の中で自我を保っていたりするのでしょう。

理性が未熟な幼児と同じで、自分が一番偉い世界への回帰。

ということで、このような無慈悲な残酷な事件をいかに減らすか?

そこら中に監視カメラが備え付けられていて24時間監視される。

個人個人の日々の行動データから、この犯罪をAIが予測する。

個人個人の感情や思考が可視化され、警察が放火を未然に防ぐ。

過去の犯罪者やネットにアンチな書き込みをしている人をマーキングでき、その接近を知らせてくれる。

以上のようなことを実際に国家単位で行なっている国もありますし、いずれ全て科学の力でできるようになることなのではないでしょうか?

でも、それは多くの命を救いますが皆さんが望んでいる社会なのでしょうか?

プライバシーに対して皆さんすごい繊細です。

でも、どこからがプライバシーで、どこまでがプライバシーじゃないかっていう定義をきちんと持っている方は少ないんじゃないでしょうか。

何十もあるポイントカードシステムや、スマホでの決済システム。

あれらを使ってる時点で皆さんのプライバシーを提供していることと同じなんですけどね。

一定の割合でこういう人は存在するから諦めるのか。

もっともっと深い部分までAIの力を駆使し、犯罪を未然に防ぐのか。

どちらが正解かなんて誰も知るわけがないのです。

そもそも人類史上こんな時代はなかったわけですから、誰も正しいことなんて定義できるわけがないのです。

大切なのは自分の価値観をしっかりと持ち、今がどういう時代かをしっかりと把握し、どういう風に社会の中で生きていくかをしっかりと定義することだと思います。

インプットがないとアウトプットできるわけがないというのが私の考えなので、

「人がつくったものをたくさん見てください」

とお伝えします。

何かをつくることでお金をもらうことを生業にするなら、それは最低限であり、日常にならないといけないわけです。

うまくいかない人は「ポスターとか看板とかがあったら意識して見るようにしています」なんだとは思います。

違うのです。

都市で生活するということは、「人がつくったものの中で生活する」ということと同義語なんです。

今、あなたの身の回りにあるもの、全て人がつくったり、設計したものではないでしょうか?

ということは、全てデザインされているのです。

機能性、イメージ、そこには人の意志が落とし込まれています。

無限のデザインに囲まれる日常の中から、絶えずインプットできているか。

感性を閉ざし、無限の人がデザインしたものを「当たり前」と認識し、意識しないのか。

生きていく中でそれは微差にしかならないし、そんなことしなくても生きていけるわけです。

昔の人は五感を研ぎ澄ませないと食べ物にありつけないし、迫りくる危険から見を守れなかったわけですが、現代社会ぼーっと生きてても死ぬことはないので、意識しないと五感は鈍っていきますよね。

私はものをつくることで生きていく人にとって、それは怠慢だと思うんですよね。

このあたりは、努力じゃなくて、意識でどうにでもなることです。

おもちゃおもちゃおもちゃおもちゃ。

アイスクリーム、グミ。

おもちゃおもちゃおもちゃおもちゃ。

仮面ライダーの映画行くー。

もうすぐ3歳半の我が子は脳みそに浮かんだものを全て口に出します。

なので、ずっとこんな感じのことをしゃべり続けています。

私が生涯で買ったり、もらったりしたおもちゃの数はゆうに超えているはず。

3人家族には狭い我が家はプチおもちゃ王国なのです。

が。

しかし。

おもちゃをもらった日は楽しそうに遊んでます。

私が下のローソンで引いた仮面ライダーくじの明らかにハズレっぽいライダーの水彩画も後生大事にしてくれます。

かわいい。

という話ではなく、 どんなおもちゃでも買ってもらったその日は大活躍ですが、翌日翌々日にはあまり見ません。

たまに思い出したように登場して楽しそうに遊んでますが、基本毎日遊ぶおもちゃにはなりません。

結局はいつもブロック遊びに戻ります。

「へんしんっ!!」

ブロックは変身ベルトに変身したみたいです。

「あざまえきーあざまえきー」

ブロックは地下鉄中央線になったみたいです。(あまざえき = 阿波座駅のことみたいです)

彼の脳みその中でブロックはいろんな存在に切り替わるのです。

遊び方が限定されているおもちゃにはすぐに飽きてしまう。

遊び方が限定されていないものから、いろんなものを想像する。

ほとんどが四角、たまに丸。

四角と丸を組み合わせて、いろんなものを再現する。

デザインみたいですね。

ということで、息子から学ぶ想像する力というお話でした〜。

今、私はMacBookProでブログを更新しています。

iPhone、Apple Watchを使い、便利な生活を送らせてもらっています。

深夜なのでYEBISUビールを飲みながらです。
自分へのご褒美です。

ランチはできるだけうまいもん食べるようにしています。
起業してどうにかこうにかやってるので、そこも自分へのご褒美です。

なんでもかんでも贅沢できるわけではないですが、そうやって自分にご褒美与えながら生きることにしています。

素敵なパソコン、スマホ、ビール、ランチをつくってくださる方々に感謝です。

ちょっとでもいいパソコンをつくろう。

スマホで皆さんの生活を快適にしよう。

うまいビールをつくろう。

美味しい中華料理を提供しよう。

誰かがそう思って試行錯誤し、提供してくださっているもの。

社会を捨て、自然に回帰する生活を選ばない限りは、誰かの努力の恩恵を受けています。

そのお返しに私がすべきことは、私も自分の何かを提供することです。

私ぐらいの脳みそしか持ち合わせていない人間の場合、必死のパッチにやって初めて皆さんのお役に立てると思っています。

残念ながら、いまだに私がお仕事をして、皆さんにご提供できる体験は100勝0敗ではありません。

いろんな思いを背負い、いろんな方に向き合わせていただくお仕事をさせていただいています。

皆さん全員にプラスの体験をご提供しないといけないし、どうすればそれが達成できるか知恵を振り絞らないといけません。

自分自身、まだまだまだまだ成長していかないといけないし、もっともっと成長していけるはずです。

まだまだ自分が知らないことの方が世の中圧倒的に多いです。

いろんなものを見て、いろんなことを考えていたら、もっともっといい導きができるはずです。

ということが、社会で生きていくということであり、成長しないといけない理由だと思います。

いろんな方が頑張ってくださっている恩恵で私は日々楽しく生きれますし、いろんな情報とも触れ合えます。

成長や競争を否定する世界は、おいしいラーメンやおいしいスイーツ、かっこいい歌やら何やら全てがない世界です。

喜びも感動もない世界。

単なる妥協だけしか存在しない。

そもそもそういう世界で人は存在し得るのか。

人が成長や競争を否定したり、バカにしたりするのは知ったこっちゃないですが、私は社会のお役に立てるように試行錯誤することは、この社会に生まれてしまった宿命だと思っています。

坂元家の長男として生まれてしまったこと、日本人として生まれてしまったこと、現代社会に生まれてしまったこと、全て自分に選択権がないことです。

そんなこと考えても意味がないし、その中で生きていくには、私は成長し続けないといけません。

そんな感じ。

私の人生あと何年あるのかよくわかりません。

今までたくさんの生徒の方にお会いさせていただきましたが、日本中、世界中にもしかしたら私だから何かきっかけを与えれる方がいるかもしれません。

そうなれるようにはどうすればいいんでしょうか、と日々自問自答。

自転車乗ってる間、シャワーしてる間。

ということで、成長しないといけない理由でした。

まねぶ。

「真似る」を「学ぶ」まで進めよ。

と今、野村監督のモノマネ付きで口にしました。

文字にしてみたら、なんのこっちゃわかんないわけです。

ということで、本日は「まねぶ」のお話。

どうすれば、デザインの表現力が身に付くのか。

それを象徴する特徴を掴み、そこを誇張する。

デザインの一つの目的はそうしてわかりやすくすることだと思うのですが、「ロバート秋山を見ろ!」と思うのです。

ロバート秋山のクリエイターズファイルや、お笑い番組で「誰か」になりきる姿。

あれが笑えるのは、そのジャンルの方々の「雰囲気」をしっかりと掴み、そこをとことん誇張するからですよね。

「こんなしぐさしてそう」

「こんなこと言いそう」

「こんな服装しそう」

「こんな髪型しそう」

すごい細かいところをしっかりと見て、それを笑いに昇華できるように誇張してるんですよね。

そういう観察眼、そしてより誰にでもわかりやすく表現する力。

これってデザイナーにも必要とされていることですし、ロバート秋山氏がデザイナーだったら、すごいデザイナーになってますよ。

「モノマネをする」

意外に一人前のデザイナーへの近道かもしれませんね。


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