大阪本町制作所

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しゃちょうのブログ

スクロール

コロナ、大変です。

こういう時にデザイナーとしてやっておくべきことをお伝えしておきます。

私達が担うグラフィックデザイン(ウェブデザイン含む)は、「社会の一瞬を切り取ったもの」だと思います。

誰にでもある一瞬。

自分も将来体験したいと思う一瞬。

そんな一瞬を再現し、人の情動をコントロールする。

そういうお仕事です。

それは社会の一瞬一瞬だと思います。

普段当たり前だと思って享受している数々のことが当たり前じゃないんだということを、このような非常事態は教えてくれます。

私、高校3年生の時に阪神大震災を経験しておりますが、あのときは受験前でありながら、朝から晩までずっとテレビを見てました。

同じ映像を何度も何度も見せられた気もします。

CMが、ポイ捨て禁止ー!と叫ぶ中野浩一のハイボイスと瀬戸内寂聴さんの熱いメッセージが交互に出てくるだけという非常事態。

今まで自分が当たり前と思っていたものが崩壊する、テレビ、映画、漫画でしか見たことない映像の数々。

「これは受験勉強なんてしてる場合じゃない。この映像を目に焼き付いておかなければいけない」と、当時の私は思いました。

全てが当たり前じゃない、諸行無常であることを改めて思い知らされ、生きるとは何か? どう生きていくべきか? ということを人生で初めて考えるきっかけになったと思います。

そして、起業前ぐらいに起こった東日本大震災。

日頃当たり前に享受していて、よく見えていない社会の輪郭が、非日常を通して見えてきます。

デザイナーは、社会を切り取り、強調するお仕事という側面もあるので、社会を見る解像度が一般の人より何倍も何倍も高くないといけません。

それがデザイナーや何かをつくる仕事の人の能力の差を導きます。

今回のコロナ騒動は、震災とは違う性質を持っています。

いつ終わりが来るかわからないこと。

ボーダーレス化していく、国と国との境が文書上のルールでしかないことをより明確にしていく、世界中への感染。

インターネットの発達により、誰でもどこでも情報発信できるようになった社会が引き起こす情報によるパニック。

騒動を通して、社会の変化も見えてきます。

社会の写し鏡になります。

社会のキワをしっかりと目に焼き付けておく。

脳に焼き付けておく。

大学3年の時にアイスホッケー部で入れ替え戦で負けてしまい2部リーグ降格。
泣き崩れながら、相手が胴上げして狂喜乱舞している姿を目に焼き付けていました。
1点差で負けたのですが、それがどういう差になるのか、今後の人生で自分は二度と勝者を見つめるだけの人間にはならないように生きようと心に決めつけました。

起業後、閉店した店、廃業した店、誰もいないガラス張りの店があったら、目に焼き付けるクセがついてしまいました。
自分もちょっとしたことでこうなる、そういう世界で生きているんだということを自分にきちんと認識させるためにじっくり見るようにしています。

人が何に怯え、どういう行動を取るのか。

感情がどういう行動を導くか。

いろいろと大変ですな現状ですが、その中で何を見てたかが、騒動の後の差になるはずなんで、不安を煽るだけのマスコミや政治家に振り回されずに、冷静に社会を見てみましょう。

暗い。

街行く人々の顔が全員暗い。

「お前ら、葬式か?」

これはスポーツやってたら、情熱タイプの指導者から必ずかけられる言葉だ。

そもそもそんなに葬式に参列したことないし、葬式中もずっと神妙な顔をしているわけではない。

スポーツやってる時の元気がないときの例えに、誰かの死を持ち出すなんて不謹慎極まりない。

は!

そうやって、私達のやる気スイッチを連打しようとするためのコーチング技術なのか。

これがメジャー流の「コーチの仕事は技術を教えることではない。どうしたら問題解決できるようになるか?を自分で考えることができるように導くことだ」というコーチング術なのかもしれない。

吉井コーチの本で見た、あれだ。

という感じで、適度に文字数を稼いでGoogleの検索ロボットパンダ55号(適当)に文字数と名の情熱を押し売りしたところで本題に入ります。

「僕は物事を客観視する能力は高いと思います」という、この世で朝倉未来とてんちむだけに授けられた才能と同等の才を持っていそうな私。

最悪の事態も常に考えています。

というか、起業してからずっと最悪の事態があることは想定したのです。

なので、全く動じてません。

「急にYouTuber(チャンネル登録募集中!!今ならパフェおごります!!)始めたり、焦りまくってるやん!!」

と思ったあなた!!

あまち!!(高校の世界史の安藤先生調)

「猫もね、杓子もね、YouTube、YouTubeってね。これはね、朝倉兄弟からなんだよ。」

と前田日明ばりに語るわけでもなく、私はマックスむらいの頃からずっと考えてたわけですわ。

マックスむらいイズム最後の後継者として、怒涛の100コンボするまでであります。

とりあえず、夜の暗い風潮に耐えれない私。

起業の倒産のニュース、リストラのニュースを耳にしながらも、うちに新しい生徒さんが全然入らないなーと思いながらも、とりあえずいつ何時ぐっすり熟睡できるこのメンタリティを持つ私。

不安になる人。

不安になってもどうにかなるさと思える人。

この差は教養の差なのなのではないでしょうか?

日曜夜21時。

花王名人劇場の番組内でたまに行われていた裸の大将。

時には辛い人生も。

トンネル抜ければ夏の海。

そうです。

山下清画伯が私達にずっと言いたかったことは、こういう時の私達へのメッセージなんだと思います。

マスク買い占め。

トイレットペーパー買い占め。

町中で咳き込む人への厳しい目線。

ウイルスは22℃以上の気温と50%以上の湿気に弱い(高須幹弥先生の息子さんYouTube情報)ので、トンネル抜ければ夏の海なわけです。

とにかく、金使うぞ、金使うぞ、金使え、皆の衆。

お客様の出陣で〜す!ドン!ドン!(今日行った阿波座の戦国ラーメン屋風)

「こんな時期にそんなこと考えるなんて不謹慎だわ!!」

考えてしまうものは仕方がない。

本能の赴くままに生きるのみで我ありんす。

ということで、コロナから「へー、社会ってそうなってんのー?」って思ったことをば。

●ライブハウス問題

ライブハウスからライブハウスへという、これまで聞いたことがない感染経路。

そして、大阪のライブハウスで感染した人がいろんな都道府県に感染させる。

観客100人ぐらいのライブということで、バンド名とか私は絶対知らないと思うのですが、インターネットの普及や移動手段の多様化や気軽になったことにより、それぐらいの規模でもビジネスとして成り立ち、またそれを支える方々は全国から集まるんだなー、と。

移動へのハードルが下がることにより、感染病の広がりが国という規模を超えて、地球という範囲に。

考えたらすごい時代。

人が媒介となる時代。

●独裁 vs プライバシー

「コロナをばらまく」と告げてフィリピンパブに行く方。

クルーズ船から降りて、すぐスポーツジムに通う方。

副業がバレたらダメだから、コンビニバイトしてることを隠してた方。

日本は感染スピードはかなり遅いみたいですが、どうしようもなく感染させてしまう方は仕方ないと思いますが、こういう悪魔みたいな方や無自覚な方もいる。

性善説と性悪説っちゅうのが常々ありまして、性善説だけでは成り立たないのが人間社会であり、ビジネスであると思います。

前に上海に行ったときに町中のカメラの多さ=完全なる監視社会であることをお伝えしましたが、その話を日本の方にするとほぼ全員「信じられない」な反応だと思います。

ただ、フィリピンパブに行くおっさんは外出後2分後には銃殺されているかもしれません。

私、上海や蘇州でひとりで観光地じゃないところをテクテク歩いてたんですが、ひと気がないところを歩く際は監視カメラの存在を確認し、「安心〜♪」と歩いていました。

ある意味、日本より安全かも。

正体がよくわからない感染症。

国が様々な自粛を訴えても、日本国民は基本的に自由を与えられてるので、全員がその通りにはなりません。

フィリピンパブのおっさんは悪質ですが、無自覚に感染させてしまっている方もたくさんいます。

どこまでその人の責任かは誰も判断できないのですが、その人がライブに行かなかったら、これだけの拡大は防げていたわけですし、そもそもライブを行わなければ拡大は防げていたのです。

はい、誰もこうなるとは思っていなかったということは、大義名分として成り立ちます。

私もそっち側の人になってしまう可能性もあります。(万全に万全を期してますが…)

●リモート

さすがにこのような状況下になると「デザインスクールに入ろう」という考えの方も減りますし、事態が収束してから動き始まるんだと思います。

「やらなくても死なない」ことは、非常事態には本当に無力化してしまいます。

でも、家でやることがない!この間に何かしたい!

という方々が全国にたくさんいると思うのです。

ということで、社会全体が極力リモート化の流れが進んでいく中で、「あ、これはうちのスクールもオンラインでできるな」と。

直接接するからこそ伝わることや見えるものもお互いたくさんあると思いますが、場所にこだわってしまうと、場所、時間、金銭的に大阪の肥後橋まで通うことにハードルが低い方しか入学できないスクールになってしまいます。

そんな感じでオンライン授業の準備を急ピッチで進めていきますー。

起業して9年目の私。

「将来フットサルのキーパーコーチや、子どもたちに正しいカラダの動きを教えるトレーナーになりたいなぁ」とかは思ってましたが、デザインをベースに社会人の方々、大学生の方々、そして高校生たちを教えて育てる業がメインワークになり、ライフワークになりそうな感じです。

そんな感じで「人に教える」ということは、たくさんの知識がないといけないし、それはリアルな経験であればあるほど説得力を生みますし、知識を得る、体験すること、そしていろんな人と会って話をすること。

積極的に取り組んでます。

それらがあれば人を教えて育てることができるか?

答えはNOなのです。

今の私の能力値ではまだまだNOなのです。

人を成長に導けるかどうかは、相手の人が動くか動かないか次第です。

動くことを妨げるのは恐怖心です。

好奇心を持つ人はどんどん動いてくれます。

どんどん動き、どんどん成長します。

恐怖心を好奇心に置換えることが、私の教育の一歩目です。

私が人を導くときにいつも邪魔してくるものは恐怖心です。

とは、恐怖心とはどこから発生するかを説明しましょう。

なぜ、恐怖心を人が持っているかといいますと、人にとって恐怖心は必要だからです。

恐怖心がないとどんどんムダ死にしていく人が増えるでしょうし、繁殖もできなければ、社会の安定も成り立たないでしょう。

ということで、誰しもが持っていて当たり前のものだとは思うのですが、今の社会問題は何も危険はないのに、脳内で自分で勝手に恐怖心を築き、それを育ててしまうことだと思います。

従来は本当に生命体としての死だったのですが、今は社会的な死に対する恐怖心が一番の恐怖心じゃないのでしょうか。

社会に嫌われる。

社会から阻害される。

「何か失敗することは、社会においての死を意味する」というイメージに支配される脳。

現代の文明化された社会。

人間が本来持っている本能が、現代社会に全く合っていないことが原因ではないかと思っています。

家族や村以外の人。

違う地域の人。

違う民族の人。

違う国の人。

それらが一緒に働く、社会を築くことになったのは、人類の歴史というものさしで考えると、ごくごく最近の話ですよね。

カラダを使って食物を育てたり、獲ったり、何かを作ったりすることを黙々と続けることを求められていたのに、そういう仕事は極減し、

「人とたくさん話をすること」

「人に物を買わせたり、喜ばせたり、心と行動をコントロールすること」

が仕事になったのって本当にここ十年ちょっとの話ですよね。

慣れない人がたくさん出ても当たり前なのかもしれない、と。

人間の高すぎる想像力が築き上げてしまうモンスター。

日々寝る能力の高さだけは発揮し、嫁から“令和ののび太”と称される私。

私は

「何も動かないことは、自分としての死」

と思ってます。

「何かをして失敗することを死とする」か。

「何もせずに、そのまま衰えていくことを死とする」か。

恐怖心の置き場所の違いが成長するか、イジけながらずっと同じ場所に居続けるかの違いに変わると思います。

はい、終始真面目。


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