大阪本町制作所

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しゃちょうのブログ

スクロール

水になれ。

起業時にイメージしてた言葉です。

ブルース・リーの言葉です。

ブルースのことを私はよく知らないのですが、その言葉が私のビジネスの根幹です。

自分を取り巻く環境・社会、そして自分自身も変化していくでしょう。

その変化に合わせて、水のように形を変えながら適応させていく。

当時は自分、今なら会社を適応させていく。

そんなことを考えていたのです。

「はじめての起業セミナー」とか行きながら、そんなことを考えていたのです。

「目指せ!!月の報酬20万円」とか、クッソ謙虚な目標立てながら、そんなことを考えていたのです。

今の私の生の姿を見れる人は限られていると思います。

奥さん。

息子。

下のローソンの店員さん、ほぼ全員。

出前館の宅配の方。

3階の社長。

かなり限られているわけです。

自分の親にも会えないわけです。

冷静に考えると、コロナじゃなくても会わないわけですが、会えないと思うとちょっとだけ(水滴2滴ぐらい)会いたくもなったり、会いたくて 会いたくて震えたりもするわけです。

天の邪鬼ですね。

話が遠回りしましたが、私が言いたかったことは、私はコロナ以前もコロナ以後も、いつも通りなわけです。

どっちかというと、日々楽しそうかもしれません。

おそらくいつもと同じく布団に入ったら数独パズルしている間に寝落ちし、全身全霊のイビキをかいてるはずでしょう。

なぜ私はそこまで不動心なのか?

それは起業時に「水になれ」をイメージし、その通りにずっとやってきてるからです。

いろいろとありますが、私のお仕事は目の前の事象に対して、選択肢を用意して、判断して、行動することです。

コロナ。

行政からの指示。

Googleのアルゴリズムの変更。

全てに共通していえることは、単なる事象に過ぎない。

私がコロナから人類を守るワクチンを開発することはないでしょうし(カビからペニシリンを発見したり、そういう生活をしていない。カビ生えてたら捨てるし。)、私が行政と交渉することもない(ラサール石井より影響力がない)わけです。

Googleのアルゴリズムにより、アフィリエイター大量発生 ↔ 低質なサービスを提供している企業の広告大量注入により、低質サービスを提供している企業にしか人々の目が届かないようなことにもなってますが、そういうのんと付き合うのは面白くも何ともない(底の低い競争に付き合う気が全くない。人生のムダ。)。

そんな感じで、水のように形を変えるべく、いろいろ考えてたり、施策を練ってますが、それはそれで死ぬほど楽しく。

死なんけど。

人々が非常時にパニック状態になる中、桜は今日も誇らしげに花を咲かせているわけです。

さすがに散ってしまいました…。

道端で車に轢かれてしまったネコちゃんとかハトさんとか見るのイヤですよね。

動物苦手過ぎて、安倍総理のツイート動画を見て「さすが総理!犬を手なづけている!猛者!」と思ってしまうぐらいの私ですら、生物の遺体は見たくないわけです。

はて。

昨日、ショボ用で堺筋本町へ。

昔通ってた美容院がすでにもぬけの殻になっていたり、「3月○○日で閉店します」みたいな飲食店や、他にももぬけの殻を何軒か見ました。

つらい…。

つらたん…。

これはニャンちゃんやハトさんが死ぬ姿を見て、私は目を逸らしながら会社に行くときと全く同じ気持ちを味わってます。

これはコロナ関係なく普段からですが、私はお店が潰れる姿を見るのが本当イヤなんです。

でも、その時は絶対に目に焼き付けるようにしてます。

単純に自分はそうならないって都合のいいことを考えられないからですよね。

必死のパッチにいろんなものを見て、そして自分自身が進化し続けないと、私も同じザマになるからです。

今回みたいな非常事態になると、どれだけ努力してようが、生きるチカラがないものは死ぬ、それが資本主義社会と思って、日々生きてます。

ので、

「お役所が休め言うてるから休んでるんやから、家賃いくらか払ってよー」

という気持ちと

「力がないものは死ぬ。それが弱肉強食の世界。資本主義経済」

という気持ちがいまだに半々です。

国や府が家賃補助の制度をつくってくれるなら当然利用しますが、自ら大家さんに賃下げ交渉するようなことはありません。

そこに関しては大家さんの責任は一切ないですから、筋違いです。

こういうことを想定して、スクール以外の事業にリスクマネージメントできてなかった経営者としての私のミステイクなので。

どっちかというと

「経営能力がない企業を税金で応援するのはやめてー」

って考え側です。

私があるかないかはわからないし、今試されてる状態ですね。

私にこの状況をサバイブする力なければ、車に轢かれて死に逝く動物さんたちと同じ運命が待ってるだけやんって思ってるわけです。

なぜ、自分が社会から逃げたくて、誰からお願いされることもなく勝手に始めた起業なのに、国から助けられることを当たり前と思うのか。

努力や工夫をしてきた者と、何もしてこなかった者を平等に扱うのがフェアーなのか。

生きる力がない者とある者を平等に扱うのがフェアーなのか。

そんなことすら、どっちが正しいなんて決まってないし、全ては人間が勝手に決めてるだけ。

自分たちだけ、頭がいいと思いこんでて、自然界で選ばれし者たちと思い込みながら、自分たちだけで勝手に微生物に苦しんでる。

そんな時にも、桜は今日もキレイに咲き誇り(さすがに散りつつある)、安倍家のワンちゃんは今日も首相と戯れるのです。

デザインを考えること。
教育を考えること。
経営を考えること。

それらを考えていくうちに

「人の本能とは?」

にぶち当たり、

「そもそも社会とは?」

「生き物とは?」

と脳みそが転化していくわけです。

川口春奈ちゃんかわいいなーとか考えながら、同時並行でそういうことを考えているのです。

ってことで、今回のような非常事態が発生すると、私の中にいろんな「そもそも」が出てきます。

生き物は食物連鎖のピラミッドの中で生きとる、と。

今年はいわしが大量発生して大変でみたいなニュースを見ても、勝手にちょうどいい数に戻る。

それが食物連鎖。

今の人間の数が最適な人数なのか?って、そういう議論を見たことがない。

穀物を中心とした植物、家畜や養殖等、食糧を自分たちで生産し、子孫の爆発的増加に成功した人類。

食物連鎖のピラミッドという自然界の掟からの脱出に成功。

不自然に同じ場所に集まり、不自然に遠く離れた距離でも移動できる。

遠く離れていても社会という名の人と人との関係性は、ネットによりつながれていて、「人と人との接点」はより深くなるばかり。

ここ数年の変化は劇的で、不自然な世の中に対応できない人がメンタルが弱ってしまう。

今回のウイルスもあまりにも不自然過ぎる環境での生活を強いられる人類の自浄作用なんじゃないか、そんなことすら思ってしまいます。

「知らない人」が育てたものを、「知らない人」が運び、「知らない人」が加工し、「知らない人」から受け取る日々。

「知らない人」が国や民族というボーダーすらも超えていく社会、それが私達が幼少期に夢のような素敵な未来と教えられてきた国際化社会。

お互いの信頼、道徳心、見えざる手が防いでくれてるのかもしれませんが、人の目には見えない微生物がその恐ろしさを教えてくれるのかしら、と。

そんなことを考えながら、人に見られようが見られなかろうがいつもの春と同じく堂々と咲き誇る桜を見つめるのでした。

4/8より、知事の自粛要請を請けて休業しております。

皆様にはご迷惑をおかけしてしまいますが、とりあえずコロナの感染拡大を防ぐためにここは力を一つに合わせましょう。

私もつらいんです。

私もつらいんです。

私もつらいんです。

私もつらいんです。

私もつらいんです。

私もつらいんです。

と、コピペを5回もしたら、つらさをアピールできるのではと思いました。

とりあえず最強最高のデザインスクールですので、自粛要請が1ヶ月を超える場合は次の手を考えています。

乞うご期待。

そんな感じで、我が社は自社広告とYouTube作成部隊、大阪本町デザインもしもしコールセンターの私以外は休業しております。

起業してしばらくしてから軌道に乗って以来、初めてこんなにパソコンの前に居座っています。

集中力というものを母上様のお腹の中に忘れてきた私には非常につらい時間でございます。

そんな感じで昨日も結局は夜中の帰宅となりましたが、息子とねんねしたはずの嫁さんが起きてました。

「起業当初のブログ面白いわ〜」

あら。

お褒めのお言葉ありがとうございます。

起業当初のブログはピュアさ、必死さが全開で従業員さんたちに見せたいわ、と。

8年かけて失われたピュアさ。

ということで、今日は「できるだけピュアに書こう」って思いながらブログを書いてます。

どうでしょう。

村下孝蔵の歌の歌詞ぐらいにピュアな内容になってるんではないでしょうか。

そもそもピュアとかヨゴレとかそういう問題じゃなく、実は何もたいしたことを言ってないのではないか。

そんなことを考えるのもやめましょう。

いつも言ってるのかもですが、デザイナーの力は社会を見る力、社会を構成する人を見る力だと思います。

キワの時こそ、本当の姿を見せますよね。

こういう時にしっかり目をかっぽじって見てるか、見てないか。

それがアフターコロナのあなたのデザイナーズライフを豊かなものにするはずです。

今、かつてないぐらい坂元は自由にお仕事をする時間の中で過ごしているので、じゃんじゃん質問等々してください。

デザインのこと、ソフトのこと、就職のこと、マクドナルドでハンバーガー買ってきて等のおつかい、プロ野球の順位予想、ロスチャイルド家と明治維新の関係等々、なんでもご対応します。

なぜか大学入学以後、ガチンコスポーツに没頭していた私。

社会に参加すること、社会人として働くことをかなりビビってたわけですが、働いてみて感じたのは想像以上のヌルさと、サボってる人間と真面目にやってる人間が同列で扱われる不条理でした。

運よく、高いレベルを求められる場所でスポーツさせてもらえてたんですが、レベルが上がれば上がるほど、感じたのが細かさでした。

レベルが上がれば上がるほど、細かいのです。

役割分担の細かさ。

時間の細かさ。

担当する場所の細かさ。

脳みそ使ってたら間に合わないんです。

あらかじめ「こう来たらこう」「こう来たらこう」とイメージしておいて、そうなったら対応するんです。

練習はそのための準備です。

ほぼ毎日1〜2時間行う自主トレは、その練習のための準備です。

チームとしての決め事もあるし、自分の中でこういうときはこうするという決め事を決めておきます。

その精度を高めるために頭で状況を何度も描き、反復でトレーニングします。

決め事があるから、とんでもない早さで対応できます。

そのために何度も反復練習しているので、無意識で反応できるのです。

教える業をしていても、お仕事をしていても「決め事をつくればいいのになぁ」と思う事が多々あります。

経験年数の差、場数の差、よくわからない先天的能力の差って思われてしまうことがあり、その先入観を解くのが大変なのですが、迷いがないのは決め事をつくってるか、そうじゃないかだけの差だと思います。

デザインでもコーディングでも、まずは決め事をつくって、それを無意識にできるようにトレーニングしてほしいんです。

そんなことを思う今日この頃。

決め事という自分のシステムをまずはつくってみましょう、という私からのご提案でした。


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