十代、二十代。
社会に対する違和感との葛藤だったような気がします。
お仕事柄いろんな方、特に若い方と接する機会が多く、「自分の若い頃はどうだったんだろう?」と。
社会の違和感にアホらしさを感じ、スネて、スレて生きてたような気がします。
でも、年々「どうせやるんやったら後悔しないように全力でやろう」と考えるようになり、三十代で確固たるものになって、今に至る感じです。
二十代は自分のルールを一個一個決めていく過程だったような気がします。
自分の中でルールがいくつかあって、そのうちの1つに「同情しない」というものがあります。
それは自分が同情されても嬉しくもなんともなく、時にはムカつくからです。
結局、同情って同情してる自分かわいいってことだと思ってます。(はい、スレてます)
人のことどうでもいいんじゃなくって、私なんかには同情しきれないって思ってます。
本当に阪神大震災までは、自然災害なんて自分たちには関係ないって思ってました。
東海大地震は小学○年生とかにもよく載ってましたが、ノストラダムスの大予言とかと同列でした。
いろんな天災、人災を知り、永遠なんてないし、同情してもしきれないし、自分がやるべきことはいつもと同じように生きていくことだと思っています。
これは東日本大震災のときですが、学生たちが駅前で大人数で募金してました。
募金はひとりでやって、あとのメンバーは現地に助けに行けばいいんじゃない?それって嘘じゃない?って思ってました。
これは高校ぐらいのときに見てたドラマ「この世の果て」で、妹の目が見えるように手術をさせてあげたいから角膜を買うためのお金を集めている姉への
「お姉さん、あなたの角膜をあげればいいんじゃないですか?私は船の上から浮き輪を投げて助けるような人間が大嫌いなんです。」
という医者の発言が、私の考え方を決めました。
全ては野島伸司のせいです。
というあたりから、考え方の道筋が決まっていき、今の自分がいます。
私にできることは何があっても全力でお仕事をして、社会のお役に立つことです。
その過程で支払われる税金や社会保険料を平等に分配するのは国のお仕事だと思ってますし、そこは信用するしかないです。
そんな感じです。
私の今の役目は、会社(生徒の方々、従業員)を守ること、家族を守ることなので、そこは大前提に考えます。
あとはいつもと同じく全力で日常を過ごすのみです。
人は人、自分は自分です。
ここ何年かまともにサッカーなど見てなかったのですが、地震の影響でお仕事が早く終わってしまったため、たまたま家でサッカー見れるタイミングだったのでワールドカップ見てました。
人が真剣に戦う姿はやっぱり面白いですね。
思い入れがなくても見れる。
毎日毎日いろんなことがありますが、私は私、毎日全力で生きてくのみだったりします〜。