コミュニケーション
18.01.16
へいへい君はBODY。
ノーノーそれだけでいい。
KISSで唇を。
SHUT IT UP 奪わないで。
コミュニケーションがうまくいかなくて、こんな気持ちになったこと、誰にでも一度はあると思います。
え?
ない?
嘘?
松本に相談してみようか。
でも、たぶん冷やかされるからや・め・と・こっ!!
ということで、B’z漫談だったのですが、コミュニケーションについて考える日々です。
私なりのここ最近の研究結果があるので、こちらで発表いたします。
人間の思い。
感情。
希望。
不安。
不満。
そういうものは脳みその中に存在するフワフワした何かだと思います。
大人はそれを人に伝える時、外に向けて表したい時に言葉に置き換えます。
うちの息子の場合は言葉が使えないので、泣いたり踊ったりという態度に置き換えます。
「言葉=脳みその中」という図式は違うと思うのです。
ただ、脳内のイメージを伝える手段に過ぎないということです。
それを言葉と音や間を使い、口を使う話すという行為がうまい人。
それを文字を使い、文章を書くという行為がうまい人。
それを画を使い、デザインで伝えるという行為がうまい人。
そういうことができる人がコミュニケーションの達人だと思います。
ということで、デザインというのも日常的に皆さんが行っている「話す」や「書く」という行為と同じ行為で、ただ方法論が違うだけなのです。
話す、文章を書くということも、デザインで伝えるということと同じ要素が多いものなので、日常で行える簡単なデザインのトレーニングになります。
逆に言うと、デザインができる人は話したり、文章を書くこともある程度できるはずです。
本当は。
ちなみに話すという行為は相手がいて成立する相互のコミュニケーション方式で、書くとかデザインは情報を伝える側と受ける側という一方通行のコミュニケーション方式なので、そのあたりの違いはあるかもしれません。
でも、書くこともデザインも読む人、見る人の気持ちを理解していないと意味をなさないので、そこに関しては同じような性格だと思いますが、話はどんどん転がっていくので、自分で起承転結をつけれない、どう変化するかがわからないものでもあります。
そんな感じですが、こういう学校をしていると、コミュニケーションに苦手意識を持っているのかなという方もいらっしゃいます。
デザインもコミュニケーションなんだし、デザインをしたいんだったら、コミュニケーションのスペシャリストを目指して欲しいなって思います。
話すのはイヤ、書くのはイヤ、だけど画で伝えることだけはしたいって、幅の広さという部分で疑問符がつきます。
私達がつくるデザイン物ってほっとんどが紙の場合捨てられるってご存知でした?
捨てられる未来が待っているものをつくっているんですよ。
私たちは「デザイン物」というものをつくっているんじゃなくて、デザインという方法論を使い、紙という媒介を利用して、伝えてるだけなので、伝えるという役割が終わったら、お役御免で捨てられるわけです。
言葉も同じようなものじゃないのかな、と。
ほとんどの人に見向きもされない、それがデザイン。
でも、ひとりでもそのデザインに心が動かされ、何かをしたいという衝動が起きたのなら、それはすごいことなのです。
デザインという技術や知識、方法論を学んだところで、自分がそれを利用するスペシャリストにならないと枝葉にしかならないと思います。
自分自身をいかに高めていくか。
そのときにデザインを利用していろいろ人様の役に立てたらいいですよねってことだと思います。
ということで、私のコミュニケーション論でした。