デザイナーを夢見る
永遠の少年少女たちのバイブル

しゃちょうのブログ

2年2ヶ月1週間

18.03.25

私がパパになって早くも2年2ヶ月1週間経ってしまいました。

パパらしいことは何もしていなく、嫁さんがイライラしているときにご機嫌を取るためにおむつの交換を率先してやろうとした時に限って、すでに父の背中、いや糞量をはるかに超えてしまった大量のウンチにパニックになってしまい、オエオエ言いながら、おむつを交換したりするぐらいのパパ稼業です(嗅覚のほとんどを失ってしまい、美女のニオイとかは一切わからないのですが、息子のウンチのニオイだけは的確に判断できるという五感の一部が不便極まりない感じです)。

人が人を教育で大きくしていくなんておこがましく、ほっといたら勝手に大きくなって賢くなっていくことを邪魔しないことを意識しているわけです。

ただ「普通の人より、面白い方だったら人生どうにかなるよ。」だけは教えてあげたいし、そこはこの顔面一族の末裔として産まれてしまった使命だと思うので、朝から繁忙期のキジのモノマネを数十回させられたり、おちんちんを触られたら叫び声を上げて倒れたりすることを40超えたおっさんが身を持って教えています。(冷静に考えたら、息子はキャッキャキャッキャ笑いながら見てるだけですが、「やって見せる」これが父から息子への教育)

さて。

いつも迷うのです。

多くの人に見ていただける模様のこのブログですが、誰がどんな目的で見てくれてるのかよくわかってません。

私は関西フットサル界で知る人ぞ知る(つまりあんまり知られてない)人気ブロガーだったのですが、その延長線上の人達が多いのかしらと思ってました。

でも、デザインスクールのブログで「ゴレイロは…」とか「ピボが」とか言っても意味不明です。

あ、たまにフットサルやってる生徒の方もいらっしゃいます。

ジョイナス!!

ということで、私のお仕事のプレイヤー部門の方は主に「デザイン大喜利業」だと思ってます。

生徒の方や従業員がつくったものを見て、パッと「デザインの問題」「WEBルールの問題」「データの問題」「技術の問題」のいずれかを判断し、その人の能力・モチベーション・性格・ゴールを判断して、適切な言葉を見つける作業です。

取って捨てて選んで択ぶわけです。

それを一般的に取捨選択といいます。

これ、日本でできるの数人だと勝手に思ってます。

他にいたら手を挙げてください。

たぶん、誰も手を挙げないとおもいます。

それはこのブログを見てないからです。

ということで、今回言いたいことはそういうことではなく、

「どうする?どうなる?現代社会と精神シンポジウム」

というお話です。

日々Twitterまで更新し、経営者という看板を外したら、完全にスマホ中毒のキモヲタおっさんです。(意外に謙虚)

たぶん5人ぐらいに向けて勝手に集中的に情報発信し続けるTwitterはこちらこちらです。

今まではvs企業、vsパソコンというお仕事をずっとしてきましたが、起業後スクールを開校し、対個人、対社会というお仕事になり、いろいろ社会について見えてくること、考えることが出てきました。

ひとことで言うと社会にフィットできない人って意外に多いんだな、と。

自分にどうにかできることはないのかな、と。

例えば、私のことなんて誰も見てないんです。

見てないようで見られてるから手を抜いたらあかんよが私の教えなんですが、私のことを嫌いな人もいると思います。

が。

しかし。

私のことを嫌いな人は、勝手に向こうから私の前から消えてくれます。

まぁ、便利。

ということで、嫌われてたって別に顔を合わすわけでもないし、そもそもその後生きてるか死んでるかもよく知らないし、ぶっちゃけて言うとどうでもいいし。

私も自分のことで手一杯、後は会社のこと、家族のこと、自分のことを大切に思ってくれる(とこっちが勝手に思ってる)方のことを考えるだけで手一杯です。

私にとって関係性がない人や、そもそも私のことを嫌いない人のことまで相手にするヒマもないのです。

ヒマがあっても、その時間は無駄です。

そんな時間があったら、YouTubeでエンドレスで「マネーの虎」見ます。

いや、そんなことしてたら弊社がノーマネーでフィニッシュしちゃいますよ!
このアホンダラ言いますよ!

マズローの欲求5段階説をご存知でしょうか?

知らない?

ググってください。

ということで、話をまとめますと、自分で勝手に架空の敵をつくってしまい(そもそも誰もあなたのことは何とも思っていない)、社会的欲求、さらに尊厳欲求をこじらせてしまい、にっちもさっちもいかなくなって、結果的に周りの人に一番迷惑をかける行為を取ってしまう方って意外に多いんだなって。

うちの息子を見てると、本当にやりたいことやってるだけ。

人からどう見られるかなんて全く意識してません。

パパとママの真似ばっかりしてます。

「なんか知らんけど、僕もしとこう」という人間の本能なんでしょうね。

スタート地点はみんなうちの息子みたいな邪気が無い人間だったはず。

社会の中に身を置く中で、自分が中心で社会が動いてないことを知り、我慢すること、うまく振る舞うことを覚え、理性が発達する。

その中で自分の本能的な部分はなくならないわけだから葛藤が生まれる。

理性って、ある種、社会の中で自分が生きていくための演技だと思うのです。

play a role (役割を演じる)って言葉が、学生時代英語の授業中になぜか印象深く残ってるんですが、まさにplay a roleだと思うんです。

演技ということは、要は嘘の自分、虚勢を張った自分ですよね。

私もroleをplayしてるわけですが、最高の自分をplayするために、いろいろ日々の時間を費やしてます。

うちの息子がただやりたいことやってるように、パパも実は自分がやりたいことやってるだけです。

社会および会社というルールの中で生きているので、法律や契約というルールの中での制限はありますが、私のplayは「演じる」というより「遊ぶ(楽しむ的な意味で)」なのです。

おわりの会で冤罪かけられ系だった小学校時代。

たぶん、頭脳明晰だったはずなんですが、男子を笑わせることだけに注力してしまい、全くモテる気配もなく、はあちゅうが見たら棒にうんこを差したやつを投げたくなるであろう中学時代。

単純にタイミングを逃し、友達が5人ぐらいしかいなかった高校時代。

アイスホッケー部でイソップ以下の扱いを受け続けた大学時代。

私もそんなもんなのですが、今は社長やらスクール代表というroleをplayしてます。

無理やら無茶も時にはありますが、基本どこかで笑いに置き換えてます。

もっと、みんなが楽しく生きれるような、roleをplayできるような社会にしていけないのだろうか。

日々考え中。