みそか
19.12.31
毎年言うてる気もしてますが、晦日=三十日でして、月末を表す意味もありまして、一年の一番最後の日だから大きい晦日、大晦日なんですね。
ということで、本日のしゃちょうとお利口さんになろう、はこのへんで。
皆さん、よいお年を!!
という読み手にも書き手にも需要も供給もないことで終われないわけです。
令和元年というやつは。
そもそもどれぐらいの読者がいるかというと5人ぐらいなのではないでしょうか。
私が将来芥川賞とかノーベル文学賞とかもらった時には「私は先見の明がある」と自慢できる。
ただそれだけのために読んでもらえたら、私嬉しいです。
ということで、一応節目ということで無事今年も倒産もせずに、生活苦に陥ることもなく無事終了しました。
私は「年の最後のご挨拶」とか「新年のご挨拶」とか「今年の回顧」とか「新年の抱負」とかが苦手なのです。
かなり不自然になってしまいます。
アンドロイドみたいな表情になっているはずです。
生きていく中での単位というのがあると思うのですが、「今」がベースにあるので「月」とか「年」では全くないです。
一日に絶対にやらないといけない仕事が終わったら「今日も1日頑張ったでしょう」とほっこりしますが、基本は「今」です。
今を必死のパッチでやってたら、そのうちのどれから後々の自分の力になるだろうという感じですし、これまでの人生もそんな感じだったような気がします。
「会社を経営しながら、デザインスクール運営と講師をしながら、高校の講師をしながら、WEBも紙もデザインもして、コーディングもして、マーケティングもしする」という、たぶん世界でひとりしかやってないことをやってるのですが、その土台は起業前に仕事外や学校の授業外の時間帯に必死のパッチでやってた無駄なことの数々だと思っとります。
人は合理的に生きたい動物だと思うので、無駄なことはしたくない。
ので、無駄なことをしかも全力でやってたら、それが「他人にはない自分だけの武器」になっていた。
結果オーライな今の私です。
とりあえず、大学卒業時に就職をしなかった時に「ほな、仕事以外のことをとことん楽しんでいこう」と考えて生きてた結果、こういう形になっているので、人生ってそういうものなんだろうと思ってます。
逆に仕事のことだけを考えて必死に生きてきた人はそこに関してはスペシャリストかもしれませんが、それ以外に関してはほぼ無力でしょう。
仕事というのは社会に対してどうアプローチするかだと思うので、自分の専門の仕事ばかり見てたら、社会に対して盲目的になってしまいますよね。
人は人で自分は自分なんですが、この年になって思うのは、必死のパッチになった時間と脳みそが自分の土台になっていくし、土台がしっかりしていないと、能力や知識を得ることは難しいし、浅はかなものにしかならないんだろうな、と思う今日この頃です。
そんな感じで自分の仕事のベースが教育というものになっている現在思うことでした。
今を必死のパッチで頑張ったら、それが力になりますよということを私は伝えたいんだと思います。
ということで、年末年始楽しんでください〜。