理想的社会の限界
16.11.10
アメリカ大統領選挙。
私は注目して見ていたわけでもないので立候補した方々や、アメリカ国内事情のこともよくわかってませんが、世界が同じ方向に向かっていっている結果なのかなと。
みんなが幸せに生きれる社会という理想論に向かっていく中で、お金、国、民族、いろんな問題が出てくる。
「みんな」の定義も曖昧ですし、「頑張った者が正当な評価を受ける社会」が平等なのか、「みんなが同じクラスの生活が実現できる社会」が平等なのか。
世界中のみんなが平等に仲良く幸せに暮らせる社会。
妊婦の旦那として、一児の父として生活してる限り、世界中どころか日本中ですら自分がよければそれでいいが多すぎてうんざり。
町中に出ることも勇気が要ります。
こんなんで子どもが増えるわけないですし、結局それは国全体として自分がよければそれでいいの集合体ということに過ぎないのだと思います。
ということで、「そんなことは言っちゃダメ!!」と幼いころに母親に怒られるようなことを平気でバンバン口にする正直なオッサンの方に私たちは何かを期待してしまうのではないでしょうか。
私もついに母親が会いたくないというレベルで、思ったことをバンバン口にする正直なオッサンになってしまったみたいなので、綺麗事しか言えない人、綺麗事で構築されようとしている社会、綺麗事に対して皆が無責任、勝手に誰かが何かをやってくれると思っている社会には辟易してますし、自分の自分が正しいと思う方に進んでいこうと思うだけなんだと再確認した次第であります。