デザイナーを夢見る
永遠の少年少女たちのバイブル

しゃちょうのブログ

これは何だ?

19.01.10

えべっさん。

起業して、最初のえべっさん。

私も商売人の端くれ。

とりあえず、えべっさんに参っておかないと、あとあと「あの時にえべっさんにお参りしなかったから、事業に失敗したんや…」と後悔するかもしれない。

当日はすがれるものは何にでもな状況でもあったのですが。

そして、えべっさんの翌日から体験レッスンへのお申込みがわんさか。

神すげー。

と思ったのですが、その後毎年これぐらい時期が、人が新しく何かを始めようと思う時期なんだということを知りました。

といいつつ、後悔したくないので、今年もきちんとえべっさん参りをして、笹を買いましたよー。

神様〜、今年もよろしゅうお願いします〜。

ということで、日々いろんなことを考えてしまう私であります。

私のアドバンテージはあらゆる事柄に対して、ゼロから何かをつくる能力だと思うのですが(その能力が中途半端なので、月旅行とか行けないわけですが)、それを社全体としての共有の財産にするにはどうしたらよいのでしょうかといろんなところにヒントを探しまくる日々です。

社会不適合者としての名を幼稚園児ぐらいのときからほしいままにしてきた私。

人と一緒のことを盲目的にやったら負けと思ってたアンタッチャブル少年。

一番見習ったダメな人間であるのは間違いないですが、ゼロからつくれる人にはなってもらわねば。

言われたことしかできなかったらAI君たちにお仕事奪われちゃいますからね。

「どうしたらゼロからつくれるようになるんだろう?」

といつも考えてしまいます。

それを人に伝えるのが私のお仕事なので。

日々の生活の中でのイライラ。

日々の生活の中での違和感。

物事の仕組みを考えること。

もっともっと分解してみること。

実際に成長していく人をじっくり見て、分解し、整理すること。

人の興味を引く人、人の感動を与える人の方法論を分解し、整理すること。

そのあたりなのだろうと思うのですが、どうしたらそれらを共有したり、システム化できるのだろうか。

今年から我が社(というか、私の)仕事の中で大切にしたいものは「センス・オブ・ワンダー」って思ってます。

来週で3歳になるうちの息子はいちいち「これは何だ?」と聞いてきます。

生きていく中で何でもかんでも知っているような錯覚、うぬぼれを持ってしまい、「これは何だ?」と考えることがなくなってしまう。

結局のところ、能力や頭脳って「これは何だ?」の数の差なのではなかろうか。

「これは何だ?」の向こう側には「これは何だ?」が待ってます。

「これは何だ?」といちいち聞きまくってる子どもの隣には、「これは何だ?」とスマホをイジイジしてたり、本を読んでる42歳がいます。

自分なんかまだまだ知らんことばっかで日々新しいことに出会います。

40超えても。

でも、「これは何だ?」はもしかすると先天的な才能なのかもしれないなとも疑っています。

わからないことばかりだから世の中楽しいし、日々学びの繰り返しだったりします。

まだまだ私の脳みそ、隙間だらけです。

新しい年

19.01.05

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

ということで、私大晦日から新年3日ぐらいまで寝込んでおりました。

さすがに4日ほど寝てたら治りました。

すっかり元気で仕事やる気満々です。

1年で唯一4日以上休める、それが私にとっての正月休み。

その貴重な日々を布団で過ごしてしまいました。

メイウェザーが叙々苑で焼肉食べてるとき、私は寝てました。

メイウェザーが銀座でお買い物してるとき、私は寝てました。

メイウェザーがリング上で天心くんをおちょくってるとき、私は寝てました。

これはエンターテイメントです。

勝ち負けにはカウントされません。

メイウェザーが変なマイクアピールをしているとき、もちろん私は寝てました。

メイウェザーのニックネームは「MONEY」なんですよね。

かっこいい。

私も札束ばらまいて、水着ギャルをはべらかしたい。

辰巳琢郎ばりに札束ばらまきたい(参考文献:もう誰も愛さない)。

ということで、病人でも寝床で、そして急病診療所でも見たいものが見れる、それが2019年。

サランラップは相変わらず巻きにくい。

牛乳パックは相変わらず間違って逆側を開けてしまう。

自転車置き場に自転車置きにくい。

全く21世紀になったことすら実感できないことも多々ありますが、もう平成も終わろうとしているのです。

ありがとう平成。

ということで、テレビ見てたら遺伝子操作のことやら、4強(AGFAことAmazon、Google、Apple、Facebook)が織りなす近い未来への警鐘的なこととかやってて面白かったです。

課題解決を担う「知能」においては、近い将来人工知能には勝てない、もうすでに軍門に下っている私達。

喜怒哀楽を担う「感情」にいかに訴えることができるか。

それがデザイナーであり、ビジネスマンであり、これからを生きる私達に求められているみたいです。

スクールでの教育、従業員教育、我が子への教育、そして自己教育において、大切にするものが決まってきたような気がします。

さようならお正月。

フォーエバーお正月。

永遠のパズル

18.12.25

レイアウト。

それはパズル。

生きること。

それは永遠のパズル。

デザインの指導業を生業にしていく中でバランスについて指摘していくことが多いです。

生きていく中で嬉しいことも、うっとおしいことも、見たくない景色も、我慢しないといけないことも、いろんなものがあります。

なぜ?なぜ?な日々。

はい。

いちいち「なんだこれは?」と言うもうすぐ3歳の息子。

42歳になっても終わることのない「なんだこれは?」。

ひとつ言えることは皆さん社会と業とお付き合いしながら、自分の精神のバランスを取っている。

社会における立ち位置のバランスを取っている。

私自身も、自分の社会的ポジション、精神、人間性、それらに伴う日々の行動、全てバランスを取っているんだと思います。

人間、バランスを取るという本能がなければ転びまくりますからね。

そんな感じで違和感の中で自分のバランスをどう取っていくか。

はい。

人生なかなか難しい。

単純に全力で生きていきたい。

自分なんかは必死のパッチでやらなければついていけない社会で生きていたときが一番生きている感じがしたような気はします。

記憶は自分の都合のいいように改ざんされてしまうらしいので、怪しいですが。

起業してもうすぐ丸7年。

自分自身次のステップに向かう時なのかもです。

必死のパッチの中でもがき続けてる自分の方が好きです。

周りに歩調を合わせてバランスを取っている自分は好きではありません。

ぶち殺してやりたいです。

とりあえず、自分が正しいと思う方に向かっていきます。

コミュニケーション力向上

18.12.17

Illustratorがさわれる。

Photoshopがさわれる。

HTMLとCSSでコーディングできる。

それなら、デザインができるか。

答えはノーです。

残念ながらデザインという部分に関してはゼロです。

まだデザインをしたことがない方には想像できないことかもしれませんが、デザインをするということに関しては無力です。

デザインソフトやコードはあくまで道具であり、あくまで方法論でしかないのです。

では、デザイン力を身につけるにはどうしたらいいのか?

まずは知識です。

世の中のことたくさん学んでください。

世の中のものたくさん見てください。

どんな色してて、どんな形をしてるか、たくさん見て、たくさん考えてください。

そして、判断です。

それらの知識をいつ出すか、どれを出すか、どれとどれを組み合わせるかの判断です。

判断、決断がないと決まらないのです。

デザインの力を上げるにはたくさんデザインをするべきです。

そして、デザインにはほとんどのものに言葉が入ってくるので、言葉についてもマスターでなければいけません。

たくさん言葉を見て、たくさん言葉を書き、たくさん言葉を聞き、たくさん言葉を話さないといけないのです。

デザインする。

文を書く。

絶対にやらないといけないことですが、一回一回の労力・時間の問題もあり、圧倒的な数をこなすのに制約がつきます。

じゃ、どうすればいいか。

人とたくさん会話すればいいのです。

「話がうまい人」

「話が面白い人」

とたくさん会話すればいいのです。

たまたま、その人達のまわりに面白いことばかり起きるのか。

違うんです。

普段からものの見方が違うんです。

気づくか気づいてないかだけです。

そういう人がどこを見てるのか、どういう風に見ているのかじっくり考えてみてください。

独学もいいと思います。

でも、独学の怖いところは「やった気になってしまう」ことです。

やってる自分に酔ってしまって、目的である「実力を身につける」ことが全然達成できてない風景を見てきてます。

自分にもそういうことが何度もあったと思います。

そういうときは人に評価してもらえばいいのです。

頑張ったかどうかの物差しは自分じゃなくて、他人が持っています。

デザインとは社会にどう伝えていくかを考えていくことです。

社会から逃げていては単なる自己満足です。

社会とリンクを張っていく。

その中で自分のレベルを上げていく。

社会と向き合う、触れ合うことに恐れず、現状の自分の実力から逃げ出さずに、積極的になることがデザイナーとしての資質なのかなと思います。

Google = God ?

18.12.14

リアルに体験したわけではないですが、幼少期世界の奥地に住む人々訪問みたいな番組を見てると、村の長老という方がおりまして。

何でも知ってる長老が、最終決定権を持つというものが多かったと思います。

たぶん、同じような理屈で王様が存在し、神様が存在し。

神様の代弁者として教会やら寺社やらが存在し。

わからないことを教えてくれる存在。

自分を導いてくれる存在。

2代目、3代目でもなければ宗教心が強い方というのが今の時代かなり少ないと思います。

では、今の時代には神はいないのか?

神というものは「存在」だと思っています。

拠り所的な。

ふと、その存在に一番近いのがGoogleなのかな?と思い、ゾッとしました。

その人が最も知りたいことを即座に教えてくれる存在。

何でも聞けば導いてくれる存在。

様々な出会いも与えてくれる存在。

人の目が当たらないところまでしっかり見ている存在。

Googleが設定した悪を懲らしめる存在。

当たり前のように自分の全てをGoogleに伝えている自分。

Google様のご機嫌を伺いながらお仕事を進めている自分。

自分と同じヒトがつくった事象を神以上に敬い、気遣いする自分。

ものすごい気持ち悪さを感じつつ。