大阪本町制作所

[綴る]

しゃちょうのブログ

スクロール

起業して9年目の私。

「将来フットサルのキーパーコーチや、子どもたちに正しいカラダの動きを教えるトレーナーになりたいなぁ」とかは思ってましたが、デザインをベースに社会人の方々、大学生の方々、そして高校生たちを教えて育てる業がメインワークになり、ライフワークになりそうな感じです。

そんな感じで「人に教える」ということは、たくさんの知識がないといけないし、それはリアルな経験であればあるほど説得力を生みますし、知識を得る、体験すること、そしていろんな人と会って話をすること。

積極的に取り組んでます。

それらがあれば人を教えて育てることができるか?

答えはNOなのです。

今の私の能力値ではまだまだNOなのです。

人を成長に導けるかどうかは、相手の人が動くか動かないか次第です。

動くことを妨げるのは恐怖心です。

好奇心を持つ人はどんどん動いてくれます。

どんどん動き、どんどん成長します。

恐怖心を好奇心に置換えることが、私の教育の一歩目です。

私が人を導くときにいつも邪魔してくるものは恐怖心です。

とは、恐怖心とはどこから発生するかを説明しましょう。

なぜ、恐怖心を人が持っているかといいますと、人にとって恐怖心は必要だからです。

恐怖心がないとどんどんムダ死にしていく人が増えるでしょうし、繁殖もできなければ、社会の安定も成り立たないでしょう。

ということで、誰しもが持っていて当たり前のものだとは思うのですが、今の社会問題は何も危険はないのに、脳内で自分で勝手に恐怖心を築き、それを育ててしまうことだと思います。

従来は本当に生命体としての死だったのですが、今は社会的な死に対する恐怖心が一番の恐怖心じゃないのでしょうか。

社会に嫌われる。

社会から阻害される。

「何か失敗することは、社会においての死を意味する」というイメージに支配される脳。

現代の文明化された社会。

人間が本来持っている本能が、現代社会に全く合っていないことが原因ではないかと思っています。

家族や村以外の人。

違う地域の人。

違う民族の人。

違う国の人。

それらが一緒に働く、社会を築くことになったのは、人類の歴史というものさしで考えると、ごくごく最近の話ですよね。

カラダを使って食物を育てたり、獲ったり、何かを作ったりすることを黙々と続けることを求められていたのに、そういう仕事は極減し、

「人とたくさん話をすること」

「人に物を買わせたり、喜ばせたり、心と行動をコントロールすること」

が仕事になったのって本当にここ十年ちょっとの話ですよね。

慣れない人がたくさん出ても当たり前なのかもしれない、と。

人間の高すぎる想像力が築き上げてしまうモンスター。

日々寝る能力の高さだけは発揮し、嫁から“令和ののび太”と称される私。

私は

「何も動かないことは、自分としての死」

と思ってます。

「何かをして失敗することを死とする」か。

「何もせずに、そのまま衰えていくことを死とする」か。

恐怖心の置き場所の違いが成長するか、イジけながらずっと同じ場所に居続けるかの違いに変わると思います。

はい、終始真面目。

デザイン教える業を始めて早8年。

年々、言葉の解像度は高くなっているかと思います。

デザイン。

ゴールを設定し、そこに近づけていく作業。

私は右脳か左脳かどっちか知らないですけど、とりあえず作る前からいきなり「シャキーーーン」とイメージが湧くことが皆無なので、とりあえず「かっこいい」やら「美しい」やら「楽しい」やら「キキララ」やら「ニュースゼロ」やら、何かをイメージします。

で、試行錯誤していきます。

ああでもない。

こうでもない。

理屈に基づいた試行錯誤を繰り返していく中で、絶妙なバランスに出会えます。

だいたい、最初にタイトルとメインビジュアルのデザインを考えます。

そこがおおまかにできたら、次に重要なものか、一番重要性が低いものか、どちらかのデザインを始めます。

デザインは

・機能的にする
・イメージの再現

の両方を同時に達成するバランスを探る作業とも言えます。

そして、

・同じこと繰り返す
・近づける
・遠ざける

によって、「95%の統一感」と「5%の違和感」を表現し、人の気を引く作業だと考えています。

・レイアウト(位置、大きさ、余白)
・色(色相、トーン、色数)
・文字(書体、太さ、文字間・行間)
・画像(写真、イラスト、図)
・線/面(規則性、太さ、鋭さ)

という、デザインを構成する要素を、上記にあてはめ、伝えたいことと表現したいイメージをわかりやすくするために、バランスを取っていく作業です。

うちのスクールからプロのデザイナーを目指す方々には、そういうったことをお伝えし、実践の中でバランスを調整し、見本をお見せし、その中で成長していきます。

コース修了終盤やコース終了後に1〜2ヶ月終了後に拝見する皆さんのポートフォリオは、毎回講師の私を驚かせます。

「こんなに成長するんや! すごっ!」と。

皆さんは

・デザイナーとして、スタートラインに立つ技能

だけではなく、

・できるかどうかを考えるのではなく、どうしたらできるのか?を考える思考
・自分はやればできるという自信

が身に付きます。

ほい。

そんな感じで29日で起業して丸8年になります。

私は「世界中のみんなのことが大好きです!!」とかいう思想の持ち主では全くもってありません。

ですが、かつての自分や今の自分みたいな人がいたら、そういう方の力になりたいと思っています。

でも、私が必死のパッチでやったところで、それが届くのは私や我が社のことを信じてくれる方だけなので、信じてくれる方のためにとりあえず全力尽くしていきます。

スクール事業も8年やってみて、次のステップに進もうって思っています(もちろんスクールはずっと続きますよー)。

真面目にレールに乗っかることが全くできなかった分、他の人が体験してないこといっぱい体験してきたみたいで、どうやらそれが自分の武器なんだろう、と。

そんな感じで突き進め、私とその仲間たち。

コロナ、大変です。

一難去ってまた一難ぶっちゃけありえないです。

私のお仕事は社の長なので、とりあえずできることに万事を尽くして、屁をこいて寝るぐらいしかないわけです。

コロナについて正確な知識を得るために、必死に情報収集しました(高須克弥先生の息子さんのYouTubeチャンネルを真剣に見る等)。

来週で昨年4月から始めた高校教師の担当の授業、1年目が終わります。

最初は何のアイデアも出せなかった子たちが、自由にアイデアを出せるようになって、この短期間の進歩に先生びっくりです。

金八先生総集編を見た甲斐があったのかもしれません。

「クラスのみんなの心を開いて、皆に希望を与える」という目的は100%達成できてない感じですが、いろんな生徒の方と授業を通してお話させていただきました。

私の言葉は16歳の時の自分、いろんなことに疑問を抱き、アホらしさを感じて、いろんなものから逃げてしまっていた自分に語りかけてる言葉だったりもします。

「こんなこと考えても意味ないでしょ?」

即言葉を返せない自分がいました。

知力がレベルアップすることの楽しさを伝えようと試行錯誤しました。

自由に授業をさせてくださっている学校側には感謝しかありません。

私自身がこの1年を通して、たくさんのリアルな体験を経験させてもらいました。

ということで、レベルアップしているであろう自分をスクールなり会社なりに還元させていかなければ、です。

これまではマンツーマン式のスクール、そして高校講師として自分が考えてきた知識や理論をお伝えしてきましたが、それを外に向けていくべく動いていきます。

「人と人が直接的な接点を持つべきではない状況」での自分の無力さを知らしめされた今回のコロナの一件。

朝倉未来ばりに「僕の武器は分析です」と思いながら、デザインやら社会の分析を武器に戦っていきますので、乞うご期待。

懐かしの名曲。

いや、まだ生まれてなかったり、幼少期過ぎてよく知らなかった名曲に出会えるYouTube。

偶然の出会いと偶然の出会い。

その掛け算がいつでもアイデアを生んでくれる。

ということで、日本で一番集中力のない社長として名高い私ですが、基本ガッチリ集中すると決めた時以外はBGM代わりにずっとYouTubeを流してます。

そんな感じで最新のヒットシーンを追っかけたりしなくなったので、いいものはいいで何でも聴いてる最近の私です。

さて。

さてさて。

日々違和感を感じている間に人生の折り返し地点(心斎橋付近)を折り返したっぽい私ですが、今朝自転車漕ぎながら思ったホッカホカの違和感を。

私には4歳の息子がいまして、何を隠そう世界で一番かわいいわけです。

異論は認めません。

たぶん、ヒトの本能的にそういうエモーションを抱くように遺伝子レベルでプログライズされているはずです。

あくまで、私と私の嫁はんランキングです。

そうでもないと子育てという修行みたいなことを無償でやる理由が見つからないわけです。

私の両親も私のことがとってもかわいかったのでしょう。

かわいくてかわいくて四六時中もうんこ中も私の写真を眺めていたことでしょう。

きもっ。

そんな感じで

「息子が可愛すぎるから、この子だけで十分。この子への愛情を別の子に注ぐのを全く望んでない」

と思うのです。

奥さんもそうらしいです。

朝からずっと息子と旦那を罵倒しっぱなしでもそうらしいです。

私たちの息子への愛情は浮気をしないのです。

「世の他の人はそうじゃないのかしらー?謎ー。」

と思うわけです。

そういえば、私にも姉がいます。

うちの親はそうじゃなかったのでしょう。

某俳優とその不倫相手が糞バッシングされる様に違和感を感じずにいられないのです。

男1に女1という倫理感っていうのも人が勝手につくったもので、某俳優と某その奥さんの間に何があったのか誰も知らないくせになぜそこまで社会的制裁を加えられるのでしょうか。

私はヒガシに何か迷惑かけられた記憶もないし、そもそもあんまりよく知らないのです。

ヒガシの不倫相手がかわいくてもかわいくなくても全く関係がない話なのです。

ヒガシがオランウータンやコアラだったら許されている話かもしれないのに、霊長類ヒト科に生まれてしまったばかりに、こんな仕打ちに…。

つらたん…。

そんな感じで、ただ単に「子どもをたくさん欲しいと思うのは微笑ましいことで、嫁さんをたくさん欲しいと思うのは不謹慎なことって何か変」ってのが、今朝一番のホッカホカの違和感でした。

すまんのー。(おぼっちゃん)

本をつくろう企画。

今までは「雑誌部」の名でやっておりましたが、「雑誌」という枠にすらこだわらず、何をつくるか皆さんの意見を尊重しながら決めていきました。

ということで、「○○ × ○○」という「AにはBが合う」みたいな組み合わせテーマに各メンバーが記事を書き、デザインもするという企画に落ち着きました。

皆さん、張り切っていきましょう!

では、なぜ本をつくるのか。

うちのスクールは皆さんをそれぞれの目標に最短距離で導く業なので、できるだけ効率よくファーストゴールに近づけるような道筋をつくります。

でも、本当は「何かをつくる」にはいろんな筋肉が必要だと思うのです。

情報が伝わる、目標を果たす、人の感情を動かす、人の行動をコントロールする方法論があるので、それを理論的にお教えしているのですが、それは機械にでもできる作業なのかもしれません。

そこに人の想像力をプラスされて、見る人の心に届く何かになるのではないか、と。

私、よく生徒の方にお伝えしますけど、「(課題やポートフォリオなど)作らないといけないから作ったものと、心の底から楽しんで必死に作ったものの違いはひと目でわかりますよ」と。

そういう部分が逞しくなるような企画になったらいいなーと考えております。

日頃使わない筋肉を全部駆使しして必死のパッチでつくりあげた紙面。

デザイン職でなくても、いろんなお仕事やいろんな場面で、役に立ってくれる、土台になってくれる筋肉なような気がします。

新しい何かを学んだり、何かできるようになることは楽しいことだと思ってます。

日々の楽しいの積み重ねが、自分の社会での生きる場所をつくってくれているんだと思います。

私の場合、結果的に。

全ての方に私の方法論があてはまると思うほど傲慢でもないですけど、とりあえず楽しんでいきましょう、と。

最高の体験を与えるべくです。

[ about ]

画像:大阪本町制作所代表

このブログについて

代表の脳内を大公開。思ったことを思ったまんまに書き殴るタイプのブログです。子どもの頃から基本的にフザケてたら、社長になってたり、40越えてたり、パパになってたりしてた人間の駄文となります。私以外のスタッフは皆さん真面目なので、弊社はれっきとした真面目な会社です。こんな阿呆に付き合わされて皆さん大変だと思います(棒読み)。