大阪本町制作所

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しゃちょうのブログ

スクロール

息子と映画仮面ライダーを見に行く。

「映画館」という場所に恐怖心を勝手に抱いているみたいで、映画館に入るやいなやずっと大泣き。

他のお客さんに迷惑をかけるわけにもいかないので、2分で退散。

行く前に何度も「映画館真っ暗やけど大丈夫?」と確かめたし、映画館に入るまではあんなに楽しそうだったのに…。

ということで、片手に息子、片手に特大ポップコーンとドリンク2カップを持ちながら必死で移動したりしたのですが、怒ることはなく。

奥さんは息子にも私にも(←どうなるかわからないのに前売り券を買った罪)お怒りでしたが。

なぜ、私に怒りのエナジーが沸き起こらなかったのか。

私が3歳半の時、映画館に行けたかどうか覚えてないし、自分の言葉にどれだけ責任能力があったかを覚えてないのです。

自分ができたかどうかわからないことを息子に怒る資格はないし、彼も悪気があったわけではないわけで。

3歳児が誇る凄まじき想像力が現実を超えて恐怖に置き換わっちゃったみたいで。

そんな感じで楽しみにしてた(←私が)仮面ライダージオウの映画はお蔵入りとなったので、いつかどこかで機会があれば見ようと思います。

ということで、相変わらず起きてる間ずっと何かを考えてしまう私ですが(皆さんの方がもっともっといろんなこと考えているのかもしれませんが)、「想像力」っていうものについて、最近はずっと考えているかもです。

幼い息子がいたり、高校で講師をさせてもらっていたり、社会人向けのスクールを運営していたりするなかで、幼少期の教育から成人の教育まで、教育について考えるのですが、就職までは「いかに言われた通りに従えるか?」が日本の教育なんだと思うのです。

想像力、もしくは創造力を養うというよりかは、言葉や数字、数式を暗記する、穴を埋めるところに重点を置き、同じ思想で純粋真っ直ぐな人間を増殖することを最良としている気すらします。

それがいざ大人になる(職に就く)と暗記力ではなく、何もないところから仮説を立てて、行動を遂行することを求められます。

前者の仮説を立てるというところで求めらるのが想像力です。

世の中はxとy、xとyとzのようなごくごく限定された条件ではなく、五次、六次…といろんな条件があり、その中から最適化をイメージし、その仮説に基づいて行動しなければなりません。

その仮設が本当に最適解だったか、そうじゃないとすればどこに問題があったのか?いつまで最適化で居続けれるものなのか?いろんなこと考えないといけません。

敵は同業者かもしれないし、社会かもしれません。

ということで、デザインもコーディングも想像力がなければ、ただ何かをなぞってるだけのものしかならないと思います。

どうすれば、皆さんの想像力を高められるか。

その方法論に近づけれれば、私も一歩成長なのかと。

京都で起こった放火事件。

「放火しないといけない正当な理由」は1%もなさそうで、怒りとやるせなさを感じるのみです。

私のお仕事はいろいろ考えることだと思っているので、私なりにいろいろ考えてしまいました。

社会でいろんな事件、事故があり、もちろん加害者を肯定する気はないですし、被害者のことを考えるといたたまれない気持ちにならざるをえないです。

それらを前提としてお話をしますと、加害者も「社会が産んだ人格」なんだと思ってしまうことが多々あり、「この人は加害者であり被害者でもあるのでは?」と心の奥がむず痒くなります。

これは大事件、大事故だけじゃなくて、社会生活を営む中でいろんな壁にぶつかるわけですが、人の美しい部分にたくさん出会いつつも、人の醜い部分との出会いから逃げることは不可能な気がします。

その醜さに対する怒り、その当事者に対する怒りを最初に感じることはあっても、いつも「あの人も被害者なのでは?」との思いが頭の中を駆け巡ります。

「そもそも私達人間の脳が劇的な社会の変化に対応しきれてないのでは?」という私の永遠のテーマがあるのですが、その社会に対応できてない人が私も含めてたくさんいるんだと思います。

逆に大人の言うとおりに純粋真っ直ぐに生きてきて、お利口さんに無事大学に入り、大学卒業後ロケットのように切り離されて、どう生きていいいかわからない方もたくさんいるんだと思います。

そして、今は社会にすがらなくても生きていける世の中なので、その中でネットという仮想世界の中で自我を保っていたりするのでしょう。

理性が未熟な幼児と同じで、自分が一番偉い世界への回帰。

ということで、このような無慈悲な残酷な事件をいかに減らすか?

そこら中に監視カメラが備え付けられていて24時間監視される。

個人個人の日々の行動データから、この犯罪をAIが予測する。

個人個人の感情や思考が可視化され、警察が放火を未然に防ぐ。

過去の犯罪者やネットにアンチな書き込みをしている人をマーキングでき、その接近を知らせてくれる。

以上のようなことを実際に国家単位で行なっている国もありますし、いずれ全て科学の力でできるようになることなのではないでしょうか?

でも、それは多くの命を救いますが皆さんが望んでいる社会なのでしょうか?

プライバシーに対して皆さんすごい繊細です。

でも、どこからがプライバシーで、どこまでがプライバシーじゃないかっていう定義をきちんと持っている方は少ないんじゃないでしょうか。

何十もあるポイントカードシステムや、スマホでの決済システム。

あれらを使ってる時点で皆さんのプライバシーを提供していることと同じなんですけどね。

一定の割合でこういう人は存在するから諦めるのか。

もっともっと深い部分までAIの力を駆使し、犯罪を未然に防ぐのか。

どちらが正解かなんて誰も知るわけがないのです。

そもそも人類史上こんな時代はなかったわけですから、誰も正しいことなんて定義できるわけがないのです。

大切なのは自分の価値観をしっかりと持ち、今がどういう時代かをしっかりと把握し、どういう風に社会の中で生きていくかをしっかりと定義することだと思います。

インプットがないとアウトプットできるわけがないというのが私の考えなので、

「人がつくったものをたくさん見てください」

とお伝えします。

何かをつくることでお金をもらうことを生業にするなら、それは最低限であり、日常にならないといけないわけです。

うまくいかない人は「ポスターとか看板とかがあったら意識して見るようにしています」なんだとは思います。

違うのです。

都市で生活するということは、「人がつくったものの中で生活する」ということと同義語なんです。

今、あなたの身の回りにあるもの、全て人がつくったり、設計したものではないでしょうか?

ということは、全てデザインされているのです。

機能性、イメージ、そこには人の意志が落とし込まれています。

無限のデザインに囲まれる日常の中から、絶えずインプットできているか。

感性を閉ざし、無限の人がデザインしたものを「当たり前」と認識し、意識しないのか。

生きていく中でそれは微差にしかならないし、そんなことしなくても生きていけるわけです。

昔の人は五感を研ぎ澄ませないと食べ物にありつけないし、迫りくる危険から見を守れなかったわけですが、現代社会ぼーっと生きてても死ぬことはないので、意識しないと五感は鈍っていきますよね。

私はものをつくることで生きていく人にとって、それは怠慢だと思うんですよね。

このあたりは、努力じゃなくて、意識でどうにでもなることです。

おもちゃおもちゃおもちゃおもちゃ。

アイスクリーム、グミ。

おもちゃおもちゃおもちゃおもちゃ。

仮面ライダーの映画行くー。

もうすぐ3歳半の我が子は脳みそに浮かんだものを全て口に出します。

なので、ずっとこんな感じのことをしゃべり続けています。

私が生涯で買ったり、もらったりしたおもちゃの数はゆうに超えているはず。

3人家族には狭い我が家はプチおもちゃ王国なのです。

が。

しかし。

おもちゃをもらった日は楽しそうに遊んでます。

私が下のローソンで引いた仮面ライダーくじの明らかにハズレっぽいライダーの水彩画も後生大事にしてくれます。

かわいい。

という話ではなく、 どんなおもちゃでも買ってもらったその日は大活躍ですが、翌日翌々日にはあまり見ません。

たまに思い出したように登場して楽しそうに遊んでますが、基本毎日遊ぶおもちゃにはなりません。

結局はいつもブロック遊びに戻ります。

「へんしんっ!!」

ブロックは変身ベルトに変身したみたいです。

「あざまえきーあざまえきー」

ブロックは地下鉄中央線になったみたいです。(あまざえき = 阿波座駅のことみたいです)

彼の脳みその中でブロックはいろんな存在に切り替わるのです。

遊び方が限定されているおもちゃにはすぐに飽きてしまう。

遊び方が限定されていないものから、いろんなものを想像する。

ほとんどが四角、たまに丸。

四角と丸を組み合わせて、いろんなものを再現する。

デザインみたいですね。

ということで、息子から学ぶ想像する力というお話でした〜。


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