大阪本町制作所

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しゃちょうのブログ

スクロール

「自己の衝動に純粋になれ」

これは誰の名言でしょうか?

そうです。

私の言葉なのですが、「見たい」と思ったら見たくて仕方がなくなるダッシュ勝平イズム全開です。

朝めし前の当たり前なアニソンを急に思い出しましたが気にせずに話を進めますと、1FのLAWSONにチケット情報がいろいろ書いてあるので、それを見て気になったやつは毎回申し込むことにしています。

ということで、見に行くことになった東京03のコントライブ。

シアタードラマシティーという大地真央のミュージカルとかしかやってなさそうな私的に場違いな場所へ。

そんな感じで、ポップコーンにビールでもと思いながら馳せ参じながら、そんなサービスはなく、お茶片手に2時間コントを見て、パンフレットとTシャツを買って、購入者限定握手会でしっかり握手して帰りました。

お笑い評論家でもないので感想を簡単に述べますと、ギャグとかお決まりのパターンとかに頼らずに、間やテンポ等で作り出される笑いの空間。

そこにあるのは普通の情景に普通の言葉。

私がいつも生徒の方々にお伝えする「デザインは装飾をすることではない」ということと勝手にリンクさせていました。

普通の書体で装飾をしなくても伝えることができるのがデザイン。

デザインにおける間とは余白や無彩色。

無と有。

静と動。

人がつくっているものには必ず意図があり意思があり理由がある。

私達も何かをつくるお仕事なので、広告デザインだけでなく、たくさんの人がつくったものに日頃から触れる努力って大切ですね〜というお話でした。

おしまい。

今朝、自転車に乗ってたら、クラクションが連発される音が。

遠目に、信号無視するご老人とそこに向かう自動車の姿が。

「信号を無視する人間は悪だから、不快な爆音を連発するのは正義」

という意思表示なんだと思うのですが、遠目にいる私的には信号無視してるご老人には何の不快感も与えられませんが、「不快な爆音を連発する正義感」には殺意を覚えます。

これは家の駐車場の前が、不法駐車に占領されて入庫できずに、一生クラクションを鳴らし続けてる輩も同列です。

うーん。

そもそも、なぜあんなにクラクションの音は不愉快なんでしょう。

神や仏と並び称されることすらある穏便な私ですら、後ろからブーって鳴らされたら「なんやわれ!」モードに変わります。

ライガーが鈴木みのるに怒ってマスク脱いだら、オバQみたいなメイクで包丁振り回す姿に極似してるかもしれません。

クラクションの音がファミリーマート入店時に流れる音とかだったら、もしかしたら全く不愉快ではないかもしれません。

でも、クラクションには「不愉快な音で危険を知らせる」という意味があるわけで、入店したくなるようなキャッチーなメロディでは意味をなさないわけです。

ガスが臭いのも同じような理由だったと思います。

ガスがピコレットみたいなニオイだったら、妖精出てきそうですしね。

それにしても、クラクションの音、ただ「ブー」って鳴らしてるだけなんですが、「このカスどかんかい!ダーホ!ワレ!」って聞こえますよね。

そして、クラクションの音が不快というより、クラクションを連打する人間の心が不快って方が大きいのかもしれません。

「ここは俺の道じゃ!どけやボケ!」

「どけやボケ!」

「ボケ!」

「ボケ!」

「ボケ!」

に聞こえる。

ここ、あんただけの道ちゃうし、世の中にはいろんな人がいるわけで。

SNSや巷で溢れる正義感と社会の実情が全くイコールになってないことへの気持ち悪さを感じながら、今日も私は生きていきます。

ピポパポピポ♪ ピポパポピ♪ (ファミマの入店音を鳴らしながら)

テレビに整形した女性が出てた。

整形前の顔を見ても「いやいや、整形しなくても大丈夫でしょ〜」と思うのだが、コンプレックスというものを持ってしまうとダメらしい。

ということで、心のバランスについて考えさせられる朝。

みなさん、自分が主人公の物語の主役を演じてるだけなので、他の物語においては脇役でしかない自分の顔なんかにそれほど深い意味はない。

全員同じ顔してたら違いがわからんから、違う顔しとって欲しい、そんなもんでしょう。

私からしたら、街行く女性が皆、私のタイプの仮面ライダーバルキリーみたいな顔してたら、パラダイスなのかもしれませんが、そもそも私ごときではほとんどバルキリーに相手にされません。

たまに物好きなバルキリーがいて、話が合うバルキリー、一緒にいて楽しいバルキリーがいて、結婚に至ったりするわけです。

ということで、たまたま顔がバルキリーだったら言うことないですが、顔がバルキリーじゃなくても、その他の部分が上記に該当すればいいだけの話で。

そもそも、そういう顔面コンプレックスをつくっているのは、自分の脳でしかなく、自分で勝手に敵をつくってしまう。

そして、自分でどんどんその敵を大きくしてしまい、どうしようもないモンスターに育ててしまう。

自分がつくったモンスターと戦うのが人生のメインテーマってイヤですよね。

自分の脳みその中で完結する世界。

そんな顔面コンプレックスだけではなく、世の中の多くの人は現実には存在しない自分自身が勝手に作ってしまっている敵と戦っているし、自分が勝手に決めた自分という枠の中で苦しんでいます。

私はそういう人たちは「その人たちも被害者だから…」と思うので、嫌いとかいう感情は湧かないのですが。

目の前のエサを穫るのに必死だった時代には、脳内で敵を育てるヒマはなかったということなのか。

時代的な問題なのかもしれませんが、そういう人生の邪魔をする敵を作らないようにすることができないのかなーと考えたり。

デザインが上達しない!

これは生徒の方も、いざ就職した新人デザイナーさんたちも悩み苦しみもがくところだと思います。

もがけもがけもがいて苦しんでくださいな話なのですが、デザイン上達するためにやるべきことのひとつを。

何回も言ってるのかもしれませんが。

「人と話をする」

です。

人と話をする、その広さと深さが見える景色を壮大にし、より鮮明にしてくれる、そういうもんだと思います。

生きている中で特効薬を求める方が多いような気がするのですが、そんなポコっと簡単にできちゃうことから学べることなんてしょうもないもんだと思うんですよね。

広く。

いろんな人と話をして欲しいです。

年齢、仕事、生活環境、地域、趣味、性別。

人って無意識に他人を敵と認識してしまうらしいですが、いざ話してみるとほとんどの方が面白い人なんです。

中には面白くない人もいますが、面白くない理由を考えることは自分の力に置き換わります。

深く。

同じ人と何回も何回も話して欲しいです。

1on1が理想です。

その人とだけしか通じないテンポ、ネタのチョイス、オチのパターン等どんどん鋭くなっていくはずです。

2日連続でご飯食べに行っても同じテンションで話ができる相手を見つけられるかどうか。

広さを求めるにしても、深さを求めるにしても、自分が相手に話したいと興味を持つように、相手からも話したいと興味を持たれないとダメです。

そのときにどんな話ができるか。

ネタを食った面白い話をできる人もいるとは思いますが、多くの人は基本的にそこでご飯を食べてるわけではないので難しいはずです。

でも、自分を解放して話をすれば、相手の人の警戒心を下げることができ、より深い楽しい本音ができるというのが私が経験から得たことではあります。

人にはひとりひとりがとても重みのある物語の主人公だと思います。

自分が普通と思っている物語は、他人から見たらとても刺激的な新作ドラマだったりします。

人から話することが、トレーニングになるなんて、ある意味ラクなお仕事だと思います。

「人と話をするのが苦手です」

という人もいるでしょう。

私も苦手といえば苦手ですが。

でも、その分、人と話をたくさんしている人よりハンデを背負っているわけです。

そのハンデを乗り越えるだけの強みを持たないといけないということになります。

人の話を聞くということは他人の見えてる景色を見せてもらうこと。

自分の景色だけでデザインしている人と、他人の景色も借りながらデザインしている人。

私が生業にしている業界はそういう業界だと思ってます。

早くブログを更新せねば!

と思いながら、クライマックスシリーズを見てました。

早くブログを更新せねば!

と思いながら、卒業生の方々と飲みに行ってました。

私から誘っておきながら、スマホで日本シリーズを見てました。

そうです。

私はこの時期は1年で最も必死に野球を見ているのです。

おかげさまで知らん間にラグビー日本代表の激戦は終わってました。

全く社会についていけてません。

リーチ・マイケルに国民が夢中になっている間に、私はグラシアルに夢中になっていました。

ということで、張り切ってブログ更新します。

「どうしたら、素敵なデザイナーになれるのか?」

皆さんを導くためにどうすればいいのか、いろいろと思考を巡らせるわけです。

皆さんが思ってるより簡単ですし、皆さんが思ってるより難しい。

追えば逃げて、逃げれば追う、C-C-Bの歌みたいな感じです。

そんな感じで本日のメッセージですが

「縦の軸と横の軸を見よ」

ということです。

はて。

縦の軸とは?

人間がどのように誕生し、今後どのように変化していくのか。

もっというと人間より前の生物の誕生から。

生物の本能。

人間の本能。

デザインというものは、人間の機能的限界という制約の中で、人間の本能と向き合うことです。

今後の変化は絶えず最先端に目を向けないとイメージできません。

デザインの最先端は科学の最先端と共に移り変わります。

そして、横の軸。

社会を見ることです。

私達のお仕事は社会の中で人と人を繋ぐ血管的役割を担っていると思います。

人を見る。

人と人がいたらどうなるか。

人と人と人がいたらどうなるか。

人が無限にいたらどうなるか。

どんな人がいるのか。

90歳の人はどんな生活をしているのか。

80歳の人はどんな生活をしているのか。

70歳の人はどんな生活をしているのか。

60歳の人はどんな生活をしているのか。

50歳の人はどんな生活をしているのか。

40歳の人はどんな生活をしているのか。

30歳の人はどんな生活をしているのか。

20歳の人はどんな生活をしているのか。

大学生はどんな生活をしているのか。

高校生はどんな生活をしているのか。

小学生はどんな生活をしているのか。

幼稚園児はどんな生活をしているのか。

コピペの繰り返し。

データの時代万歳。

この文章を雪舟とかが筆で書いてたら腱鞘炎なりますよ。

人を見る、社会を見る、それが横の軸です。

縦の軸に興味を持ち、横の軸に興味を持つ。

縦の軸に好奇心を持ち、横の軸に好奇心を持つ。

それを行動に移せる人が残っていく職業だと思ってます。

ということで、皆さんも縦の軸と横の軸を意識してみてください。


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