デザイナーを夢見る
永遠の少年少女たちのバイブル

しゃちょうのブログ

マネ

18.12.05

うちの息子。

嫁さんからは育児放棄と揶揄される私ですが、家にいるとやたらと近寄ってきたり、お昼寝してたら起こされるだったりで、一応父親らしいこともできているのだとは思っています。

そんな彼ですが、なんでもマネします。

ママ、パパだけにとどまらず、テレビ、お店の店員さん。

そんな感じで昨日も帰宅後1時間ハンバーガー屋さんごっこを一緒にしてたんですが(させられたんですが)、マネのレベルも高くなっています。

かーもんべいべーあめりかー♪

耳で聞いたことを声に置き換えるレベルも高くなってきました。

彼は誰からもマネすることを強制されずに、勝手にマネしてるんです。

たぶん、マネすることが楽しいんでしょうね。

料理を作るママのマネ。

お仕事に出掛けて行くパパのマネ。

私のお仕事は育てる業なので、そんな彼を通して人間の本能を見出しがちなのですが、人は目で見たもの、耳で聞いたことをマネして成長していくようにプログラミングされているのではないでしょうか?

私は大人になればなるほど、成長していく上、生きていく上で、邪魔なものが増えていくような気がしています。

幼稚な自分、楽しいことにしか興味が沸かない自分に対して、社会からの何らかの需要があるのは、そういうことのような気もします。

私、自分の無能さは自覚しておりますので、日々自問自答、なぜなぜ問答です。

なぜ、できない人ができる人のマネをしないのか。

純粋にマネする、完コピすればいいところを、無駄な自己アレンジ、自己判断を加えてしまうのか。

生物学的に言えば、「どっちにしても死なないから」という理由になるんでしょうが、単純にマネすればいいんですけどね。

どんだけ完璧にマネしようしたって、ひとりひとり骨格も脳みそも育ってきた環境も違うから、同じになるわけはないし、その人の個性は絶対に出るんですよね。

他人のことを考えることに意味はないって思っているので(社会のことを考えいくのは生きていく上で必須なことだと思ってます)、どうでもいいのですが、一回しかない人生、人生という限られた時間、もっとシンプルにすればいいし、ひとつのことができるようになると、また次のことができるようになって、見える世界がどんどん広がると思うんですけどね。

比率

18.11.27

デザインがうまくならないとお困りのあなたへ。

そうです。

私の特殊能力は人様にデザインをお教えするということなのです。

他にできることが思い浮かばないので、今はこのお仕事でごはん食べています。

現在、弊スクールのWEBサイトをNEWタイプに全面リニューアル作成中なのですが、構成、ライティングも自分でやってるのでなかなか進みません。

気づいたら寝てます。

ま、1日の中でひとりPCの前に座れる時間もそんなにもないのですが。

そんな感じで日々人様にデザインをお教えする中で覚えておいていただきたいことをば。

デザインというのは比率でできているわけです。

比率です。

比率。

要素と余白の比率によって印象は全然変わります。

強さを見せたいときの比率。

上品さを見せたいときの比率。

それを知らない人がデザインはできないのです。

そして、有彩色(無彩色以外)と無彩色(白、黒、グレー)の比率。

印象強く見せたいのか。

シンプルに見せたいのか。

それによって見え方、伝わるイメージは全然変わるわけです。

難しいのは色と形(要素をレイアウトすることによって形成される形も含む)という全く違う属性もののバランスを取らないといけないということです。

簡単に数値化できるものでもないし、言葉で言いきれるものでもないのです。

バランスです。

感覚です。

だから、せめて数値化できるものぐらい数値化して考えないと、全部がめっちゃくちゃになりますよというお話です。

比率です。

比率。

常日頃、日常の中にあるいろんなものの比率。

注意して見てみましょう。

あんぱんち

18.11.20

息子2歳10ヶ月。

だんだん、親の話すことも理解し始め、言葉の数や話す内容も進化しています。

時には親(というか、母親)に怒られることも。

両親どっちに似ても負けず嫌いなので絶対に引くことはないのです。

怒りのアンパンチを母親に連打します。

そして、ビビりな息子。

テレビで怖い(←息子的に)シーンが出てくると、これにもアンパンチ。

とにもかくにもアンパンチ。

いつ何時アンパンチ。

プロレスラーが必殺技を連発してしまい、必殺技の価値が薄れてしまったとかつての全日本プロレスの四天王プロレスで叫ばれ、最近の新日本プロレスもその風潮があるのかなと思います。

レインメーカー何発出るねん、と。

カウント2.9プロレスと揶揄されますが、息子のアンパンチもオカダ・カズチカのレインメーカーばりにちょっと最近乱発しがちです。

私なりにいろいろ考えて息子の教育をしているつもりですが(主に子どもが喜びそうな下品な笑いを徹底的に伝授)、「必殺技とは?」みたいなTAKAみちのくみたいなことも教えないといけないみたいです。

パパって大変。

ということで、本日でスクールは自習室が大人気です。

自習室もできて半年ぐらいかと思うのですが、徐々に浸透してきているなぁ、と。

空席がなくなるぐらいまで皆さんが使い始め出したら、パソコン増やしますね。

とりあえず、皆さんにプラスを与えられる場にしていくべく、日々前進あるのみです〜。

傍観

18.11.15

書くことがない。

日々いろんなことを考えたりしながら生きているとは思うのですが、書くことがない。

とりあえず、スマホを見れる時間はスマホを見てるので、一応社会にはついっていってると思ってます。

だいたいが悪いことをやった誰かを吊るし上げることだったりします。

正しさというのが最近は気持ちが悪くて仕方がないのです。

人って自分たちで勝手に社会をつくり、勝手にルールをつくり、勝手に倫理観をつくり、という感じの現在があるんだと思います。

その人が勝手につくったものにそぐわないもの正しくないってこと?

誰が正しい、正しくないって決めたんでしょ?

と思うと、私に裁判官は務められない。

そもそも当事者同士の問題であることの是非を私が考えることに意味はない。

全ての情報が入るわけでもないし、すべての状況を把握できるわけでもないし、そこには客観性がないわけで。

自分の中にルールブックがあって、坂元ルールはありますが、それはあくまで坂元ルール。
他人に矯正するような毛色のものでもない。

そんな感じで今日も私は元気いっぱい夢いっぱい元気モリモリ夢がMORIMORIで頑張っていきます。(適当)

じゃない方

18.11.06

デザインをする。

個々人その力には差が出る。

それは何の差なのか。

つくっている間の差なんてそんなにもないでしょう。

みな真剣にいいものをつくってやろうと思いながらつくるはず。

差がつくのは「デザインをしていない時間」でじゃないでしょうか。

デザインとは「日常の中に溶け込んでいるもの」です。

身の回りにあるものです。

それを見てるか見てないか。

それが見えてるか見えてないか。

それを見ようとしているか見ようとしていないか。

その差なのではないでしょうか?

そして、その目に写ったものを再現しようとしたか、してないか。

再現できないなら、なぜ再現できないか必死に考え、試行錯誤したか。

その差でしょう。

と考えると、できないのは誰のせいでもなく自分のせいだと思うのです。

私のお仕事はデザインを教えることです。

でも、その時間は限られています。

ものの見方、ものの再現方法をお伝えすることがお仕事です。

でも、ご自身の日々の生活の中にそういう作業がなければ、私の力は無です。

もちろんいろんな方がいるのですが、1回や2回で諦める、決めつけてしまう人が多いなと日々思います。

単純に人生もったいないと思います。

1回や2回で理解できることに本当の意味での達成感を感じれるのかなぁ、と。

誰も成しえないことを達成するから喜びになり、自信になり、また新たな達成に迎えるんじゃないのかなぁ、と。

寝る前に今日1日何を自分にプラスできたか、5秒でも考えると人生楽しい方に変わるんじゃないでしょかといつも思うしがない経営者でした。

おしらい。(うちの息子風)