大阪本町制作所

[綴る]

しゃちょうのブログ

スクロール

思いっきり放置。

スクールの全面サイトリニューアル。

ついでに、スクールの内容も全面リニューアル。

ということで、いつものお仕事の合間にそれらの準備をずっとしております。

「会社がヤバい」とかではないので、ご安心を。

どっちかというと、起業後9年目にしても、一番いいサービスを提供できる準備をしており、最もイキイキとお仕事できているかもしれません。

今までやってきたスクール業や講師業を土台に、何かしてやろうと企んでおります。

そんな感じでコロナも一段落して、新規の入学者の方も通常通りに戻ってきていたのですが、現在あえて新規入学者さんをストップしております。

これも次への準備なので、ご安心を。

新しいコースもできますし、これまでの自分の常識をぶち破ります。

そのための準備もバッチリ。

乞う乞うご期待。

そんな感じで、「YouTubeで話そう」って思ってたのですが、こういうお話はそんなに見てもらえないということも何となくわかってきたので、こちらに。

日々、頑張る生徒の方々。

その姿は、適当人間の私にはマネできない、本当にリスペクトなお姿なのであります。

5月のスクール再開後、自習室をご利用なさる方も多いです。

ただ一個だけ

「もったいないなぁ」

と思うこと、

「何かを教えてもらいながらトレーニングしてた時の私とは違うなぁ」

と思うことがあります。

一言でいうと「質問力」です。

スクール再開後、会社の業務もいろいろとありますし、体調壊してたり、次への準備もあるので、私自身の講師の時間は減らして、その分自習室のご質問に対応できる時間は、以前よりもかなり増えたのですが、めったに質問を受けることはありません。

私も自習室にずっといるわけでもないので呼びかけにくいのかもしれませんが(ここは呼びかけやすい形にできるように準備中です!)、使えるものは使った方がいいとは思います。

いつも言ってるんでしょうけど、私のベースはスポーツです。

もっと言うと、フットサルやアイスホッケーのゴールキーパーという、マニアックなスポーツのマニアックなポジションです。

情報がほとんど入らないのです。

だから、上手い人のプレイをめっちゃ見て、一個一個紐解いていって、練習や自主トレーニングでマネしてみて考える、そういう繰り返ししかありません。

ずっと、それを1人でやってました。

アイスホッケー時代、先輩のおひとりは関西学生界ナンバーワンキーパー、もうおひとりもめちゃくちゃ上手くて、チームを実力以上の成績に導いたすごい先輩でした。

「自分なんかが話しても、相手にしてもらえない…」

「レベルが低すぎて、怒られてしまう…」

「何を聞いたらいいかわからない」

そう思ってしまい、当然質問もできないし、お話することすらできませんでした。

体育会系の学生の定番である飲み会の時は、いつも極力避けてました。

で、私がレギュラーになり、私の実力不足で降格になってしまい、「今までの自分を変えねば」と生まれて初めて思ったので、

「質問がなくても質問しよう」

ということを決めたのです。

キーパーの先輩がコーチとして練習に参加してくださっている日は絶対に。

「絶対」って決めたら、迷う余地もないです。

そんなに毎回聞きたいことなんかないです。

さすがに3年ぐらいすると、自分の課題もわかってきますし、自己解決力も上がってきます。

でも、あえて質問するようにしました。

「何かアドバイスいただけませんか?」

これなら、毎回言えます。

怖いです。

今までサボってきた自分、レギュラーとして未熟な自分を再確認させられる行為は怖いです。

でも、こちらから質問やアドバイスを求めにいって、イヤなことを言われたことは一度もないです。

逆に、普段の練習から「この後、坂元に何か聞かれるから、注意して見とかなあかん」と思ってもらって、以前より見てもらえたり、練習中のアドバイスも多くもらえるようになりました。

以上はアイスホッケーの話で、フットサルを始めてからも未経験で、そもそも日本に経験者の中の経験者ってのが何人もいない中で、自分自身で試行錯誤して、自分より上手い人と知り合ったり、キーパースクール等があると率先して参加してました。

そして、質問してました。

自分自身、運動能力がそもそも低いので、そこを埋め合わせるべく、初動負荷トレーニングというプロやトップアマの多くの選手がやっているトレーニングのジムに入って、自分でフットサルのキーパーの動きを説明して、トレーナーさんにいろいろ質問してました。

トレーナーさんがひとりになる時間をずっと見計らってました。

質問できる時間はそんなに長くはないから、自分でとことん考えて考えてから、「こういう動きに左右差が出て苦手なんですが、どうしたらスムーズに動けますかね?」みたいに、具体的な質問を重ねてました。

毎回それを重ねていると、トレーナーさんも「フットサルのキーパーの動きは知らないけど、こういうことなんだろう」と考えてくれるようになります。

もちろんトレーナーさんによります。

5人ぐらいトレーナーさんがいるジムで、真剣に考えてくれるのは1人だけでした。

あとのトレーナーさんたちは、有名なスポーツ選手と談笑してるだけとかそんなんでしたが、そのトレーナーさんに出会えたことは本当に幸運でした。

フットサルも自分のレベルを上げるべく、どんどんレベルの高いチームに移籍していったのですが、その度にトップのキーパーがいたので、いろいろ聞きました。

そのときには自分の考えて試行錯誤するのが楽しかったので、客観的意見やその人の考え方から自分に足りないことは何だろう?と確かめたかったらの質問でしたが、質問はよくしてましたし、疑問もよく投げてました。

以上のような経験を経て、デザインのスクールを運営しているので、「質問できる人」や「質問できる場所」は、私やスクールが求められる大切な役割だと考えています。

「質問しやすい空気」

「質問しやすい場所」

「質問しやすい状況」

を作るのも、今やってることの目的の一つです。

そして、皆さんはもっともっと質問して、さらにさらにレベルアップしていっていただけましたらと思います。

質問する力を身につけると、それがない人より、何倍も成長速度は早いでしょうし、自分ひとりだけでは見れない世界がたくさん見れるはずです。

ということで、質問力のお話でした。

いきなり私事で申し訳ないのですが(ブログなんてそもそも私事なのですが)、肺炎にかかってしまい、しばらく寝込んでました。

高熱が続いても「コロナか否か」しか診てもらえず、ニュースでよく見るドライブスルーPCR検査も受けましたが陰性で、お医者さんに日常生活への復帰の許可をもらったのでお仕事してますが、まだまだ体調も不安定だったりしますので、しばらく低空飛行させていただきます…(心の痛み)。

そんな感じで私、5日後に44歳になってしまいます。

おそらく人生の折り返し地点は、折り返してしまったっぽいです。

余生をいかに過ごすか。

そんな中で歴史の教科書に絶対に出てくる事象が起きました。

歴史的に奇跡的な平和だったこの数十年間の方がおかしいのかもしれません。

ということで、私も「僕が僕らしくあるために」どう働いていくか、考えることが増えました。

ずっと寝ててヒマやったんもあるんですが。

私の場合は、どうしても物事を考える際に「そもそも、仕事って何なんだろう?」ということから考えてしまうのです。

ずっと、目の前のパソコンに向かって、言われたことをやってたらよかった時は終わってしまい、自分が計画し、行動し、他の人に伝達し、行動させる、それが私の仕事になってきました。

子どもの頃からたくさんの?マークを抱えながら、絶望しながら生きてきたことは、何度も書いているような気もするのですが、44歳になろうとしている今も、?マークです。

文句でも愚痴でもなく?マークです。

でも、その中でいつからか決め事にしていることがあります。

「人を変えるより、自分を変えるほうが楽」なのです。

私ごときが、人様が長年培ってきたものを変えるというのはやっぱり無理です。

教育者として、経営者として、そこは無理なんだなと改めて痛感します。

「誰でもできる仕事の足し算で、誰にもつくれないシステムを作った企業が強い」

を最近痛感します。

私の楽しみや喜びは、そこにはないような気がします。
(低コストに見合ったそこそこのものじゃなくて、心の底からお客様に喜んでもらえるのが自分の仕事感)

私、社会人になってから始めたフットサル、リーグほぼ最弱のチームから、全国大会に出るチームまでステップアップしていったんですが、

「仲間を取るか?自分がうまくなることを取るか?」

の選択がチームが変わるたびにあります。

私は後者を選択し続けることにしました。

私、一部ではめちゃくちゃ嫌われてます。
完全に裏切り者ですから。

でも、本当の仲間というのは、「同じチーム」という状況を超えても続いていきますし、そうじゃないとしたら、それはそこまでなんです。

好きとか嫌いとかじゃないですよ。

私、嫌いな人なんていませんし。

新しい場所に行ったら、新しい仲間ができる。

そして、自分が足りなかったところをズバズバ気付かされ、求められる。

そんな生活をしてた26歳〜35歳。

結局、自分の居心地がいいのは「全力で自分たちの100%を出そう」なチームだったんだと思います。

私、努力を知らない君でしたが、大学で挫折し、そこからは最低限の準備をしよう君にはなったんだと思います。

共に生活をしている奥さんには「意外に意思が弱い」と言われますが、それぐらいのしよう君です。

残りの人生、自分自身楽しみながら、家族と一緒に楽しみながら、自分の能力に見合ったお金をもらいながら生きていこうと決めました。

これからは社会主義的な日本社会は完全に崩壊すると私は予測しています。

今は中小企業から崩壊し始めていますが、この波は大企業にも影響しないはずがないとは思ってます。(一応経済学部出身者のしがない予測)

それはそれで単なる事象に過ぎないので、水のように形を変えながら、私は前に進んでいくのみです。

水になれ。

起業時にイメージしてた言葉です。

ブルース・リーの言葉です。

ブルースのことを私はよく知らないのですが、その言葉が私のビジネスの根幹です。

自分を取り巻く環境・社会、そして自分自身も変化していくでしょう。

その変化に合わせて、水のように形を変えながら適応させていく。

当時は自分、今なら会社を適応させていく。

そんなことを考えていたのです。

「はじめての起業セミナー」とか行きながら、そんなことを考えていたのです。

「目指せ!!月の報酬20万円」とか、クッソ謙虚な目標立てながら、そんなことを考えていたのです。

今の私の生の姿を見れる人は限られていると思います。

奥さん。

息子。

下のローソンの店員さん、ほぼ全員。

出前館の宅配の方。

3階の社長。

かなり限られているわけです。

自分の親にも会えないわけです。

冷静に考えると、コロナじゃなくても会わないわけですが、会えないと思うとちょっとだけ(水滴2滴ぐらい)会いたくもなったり、会いたくて 会いたくて震えたりもするわけです。

天の邪鬼ですね。

話が遠回りしましたが、私が言いたかったことは、私はコロナ以前もコロナ以後も、いつも通りなわけです。

どっちかというと、日々楽しそうかもしれません。

おそらくいつもと同じく布団に入ったら数独パズルしている間に寝落ちし、全身全霊のイビキをかいてるはずでしょう。

なぜ私はそこまで不動心なのか?

それは起業時に「水になれ」をイメージし、その通りにずっとやってきてるからです。

いろいろとありますが、私のお仕事は目の前の事象に対して、選択肢を用意して、判断して、行動することです。

コロナ。

行政からの指示。

Googleのアルゴリズムの変更。

全てに共通していえることは、単なる事象に過ぎない。

私がコロナから人類を守るワクチンを開発することはないでしょうし(カビからペニシリンを発見したり、そういう生活をしていない。カビ生えてたら捨てるし。)、私が行政と交渉することもない(ラサール石井より影響力がない)わけです。

Googleのアルゴリズムにより、アフィリエイター大量発生 ↔ 低質なサービスを提供している企業の広告大量注入により、低質サービスを提供している企業にしか人々の目が届かないようなことにもなってますが、そういうのんと付き合うのは面白くも何ともない(底の低い競争に付き合う気が全くない。人生のムダ。)。

そんな感じで、水のように形を変えるべく、いろいろ考えてたり、施策を練ってますが、それはそれで死ぬほど楽しく。

死なんけど。

人々が非常時にパニック状態になる中、桜は今日も誇らしげに花を咲かせているわけです。

さすがに散ってしまいました…。

道端で車に轢かれてしまったネコちゃんとかハトさんとか見るのイヤですよね。

動物苦手過ぎて、安倍総理のツイート動画を見て「さすが総理!犬を手なづけている!猛者!」と思ってしまうぐらいの私ですら、生物の遺体は見たくないわけです。

はて。

昨日、ショボ用で堺筋本町へ。

昔通ってた美容院がすでにもぬけの殻になっていたり、「3月○○日で閉店します」みたいな飲食店や、他にももぬけの殻を何軒か見ました。

つらい…。

つらたん…。

これはニャンちゃんやハトさんが死ぬ姿を見て、私は目を逸らしながら会社に行くときと全く同じ気持ちを味わってます。

これはコロナ関係なく普段からですが、私はお店が潰れる姿を見るのが本当イヤなんです。

でも、その時は絶対に目に焼き付けるようにしてます。

単純に自分はそうならないって都合のいいことを考えられないからですよね。

必死のパッチにいろんなものを見て、そして自分自身が進化し続けないと、私も同じザマになるからです。

今回みたいな非常事態になると、どれだけ努力してようが、生きるチカラがないものは死ぬ、それが資本主義社会と思って、日々生きてます。

ので、

「お役所が休め言うてるから休んでるんやから、家賃いくらか払ってよー」

という気持ちと

「力がないものは死ぬ。それが弱肉強食の世界。資本主義経済」

という気持ちがいまだに半々です。

国や府が家賃補助の制度をつくってくれるなら当然利用しますが、自ら大家さんに賃下げ交渉するようなことはありません。

そこに関しては大家さんの責任は一切ないですから、筋違いです。

こういうことを想定して、スクール以外の事業にリスクマネージメントできてなかった経営者としての私のミステイクなので。

どっちかというと

「経営能力がない企業を税金で応援するのはやめてー」

って考え側です。

私があるかないかはわからないし、今試されてる状態ですね。

私にこの状況をサバイブする力なければ、車に轢かれて死に逝く動物さんたちと同じ運命が待ってるだけやんって思ってるわけです。

なぜ、自分が社会から逃げたくて、誰からお願いされることもなく勝手に始めた起業なのに、国から助けられることを当たり前と思うのか。

努力や工夫をしてきた者と、何もしてこなかった者を平等に扱うのがフェアーなのか。

生きる力がない者とある者を平等に扱うのがフェアーなのか。

そんなことすら、どっちが正しいなんて決まってないし、全ては人間が勝手に決めてるだけ。

自分たちだけ、頭がいいと思いこんでて、自然界で選ばれし者たちと思い込みながら、自分たちだけで勝手に微生物に苦しんでる。

そんな時にも、桜は今日もキレイに咲き誇り(さすがに散りつつある)、安倍家のワンちゃんは今日も首相と戯れるのです。

デザインを考えること。
教育を考えること。
経営を考えること。

それらを考えていくうちに

「人の本能とは?」

にぶち当たり、

「そもそも社会とは?」

「生き物とは?」

と脳みそが転化していくわけです。

川口春奈ちゃんかわいいなーとか考えながら、同時並行でそういうことを考えているのです。

ってことで、今回のような非常事態が発生すると、私の中にいろんな「そもそも」が出てきます。

生き物は食物連鎖のピラミッドの中で生きとる、と。

今年はいわしが大量発生して大変でみたいなニュースを見ても、勝手にちょうどいい数に戻る。

それが食物連鎖。

今の人間の数が最適な人数なのか?って、そういう議論を見たことがない。

穀物を中心とした植物、家畜や養殖等、食糧を自分たちで生産し、子孫の爆発的増加に成功した人類。

食物連鎖のピラミッドという自然界の掟からの脱出に成功。

不自然に同じ場所に集まり、不自然に遠く離れた距離でも移動できる。

遠く離れていても社会という名の人と人との関係性は、ネットによりつながれていて、「人と人との接点」はより深くなるばかり。

ここ数年の変化は劇的で、不自然な世の中に対応できない人がメンタルが弱ってしまう。

今回のウイルスもあまりにも不自然過ぎる環境での生活を強いられる人類の自浄作用なんじゃないか、そんなことすら思ってしまいます。

「知らない人」が育てたものを、「知らない人」が運び、「知らない人」が加工し、「知らない人」から受け取る日々。

「知らない人」が国や民族というボーダーすらも超えていく社会、それが私達が幼少期に夢のような素敵な未来と教えられてきた国際化社会。

お互いの信頼、道徳心、見えざる手が防いでくれてるのかもしれませんが、人の目には見えない微生物がその恐ろしさを教えてくれるのかしら、と。

そんなことを考えながら、人に見られようが見られなかろうがいつもの春と同じく堂々と咲き誇る桜を見つめるのでした。

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画像:大阪本町制作所代表

このブログについて

代表の脳内を大公開。思ったことを思ったまんまに書き殴るタイプのブログです。子どもの頃から基本的にフザケてたら、社長になってたり、40越えてたり、パパになってたりしてた人間の駄文となります。私以外のスタッフは皆さん真面目なので、弊社はれっきとした真面目な会社です。こんな阿呆に付き合わされて皆さん大変だと思います(棒読み)。