デザイナーを夢見る
永遠の少年少女たちのバイブル

しゃちょうのブログ

成長するって簡単なこと

18.07.25

成長。

「明日になったら急にモッテモテになってたりして♡」

そんなことを日々考えていた剛15の夜ですが、そんなもんあんた、急にモテるわけなんてないんですわ!!(ドン!!)

今日までモテへんかったやつが明日から急にモテるって、そんな話あります?

ジャンプの表3に載ってる広告の「急にモテ始めるネックレス」とかでもしない限り、そんなミラクルは起きないわけですよね。

いや、たぶんネックレスしても、ダサくなる以上の効果ないでしょうし。

そうやって大人になっていく。

そして、今がある。

永遠のチェリーボーイ、そんな未来予想図を描いていた剛少年は、人生のブレーキランプを5000回は点滅させ「ア・イ・シ・テ・ルのサイン」を出しまくってましたが、一歩間違えればストーカーでした。危ない危ない。

そんな感じで、自分の成長と見つめ合ってきたのが我が35歳までの人生だと思うのですが、その後は人の成長と見つめ合うことが我が人生最大のテーマの大いなる一個です。

成長って簡単なんですよね。

自分がやるしかないから。

きちんとした道筋は調べたりしないといけないし、その中でどれが一番正しいか判断しないといけないし、自分では真っ直ぐ進んでるつもりでも右に傾いているのかもしれないから、それを正してくれる人は必要。

そうやって、自分で環境を固めて、自分で自分のレベルを上げていくべく、試行錯誤を繰り返さないといけない。

それだけ。

ただ、人間って失敗を嫌うわけです。

好きな人なんていませんよね。

だから、失敗しない方の道を絶えず選んでしまうのです。

それでは、いつまでも失敗も成功もしない。

文章書いてない人が文章書けるわけないし、デザインやってない人がデザインできるわけないし、コーディングやってない人がコーディングできるわけない。

世間を見てない人が世間を前提にすることはできないし、人を見てない人が人とうまく接することはできない。

これって1+1=2みたいな簡単なことですよね。

でも、それをやろうとしちゃうんですよね。

日頃お尻拭くだけで肩甲骨が吊りまくる私がエベレスト登ったらダメですよね。

才能のせいにしていい人は、死ぬほど失敗した人だけに与えられた権利ですよ。

という話をするとめんどくさい人って思われるので、求められない限りは言わないですけど、言いたいことは成長するって簡単なことでした。

おしまい。

18.07.07

祈るしかないのだろう。

全国の祭り事を「なぜ、そないに皆さん祭りをするのか?」を考えるときがあります。

・五穀豊穣を願う → vs 自然
・子孫繁栄を願う → 男女の出会いの場
・楽しいことを増やす → 娯楽

そんな感じだと思うのですが、五穀豊穣・家内安全を自然にお願いするしかなかったのだろう、と。

「私達はやることはきちんとやります。真面目に生きます。だから、お天道様よろしゅう頼みます。」

な感じだったのだろう、と。

で、今。

農業を営んでいるわけでもない今。

海外からの輸入食品も多い今。

会社と学校を経営している私ですが、先日の地震や今回の大雨のような自然災害が発生すると、普段は時刻通りに動いてて当たり前の交通網が機能しなくなります。

私のお仕事は、こういうときにどういう判断を下すべきかが求められ続けるお仕事です。

「自然には勝てないのね」

と思いつつ、皆さんと従業員の安全と我が社にお客様から求められていることは何かを天秤にかけて判断を下します。

祈るしかないのは今も昔も変わらないし、科学に頼り切っている現在、逆に科学の想定を上回ってしまい、科学が無力化したときには、自分たちも同じく無力化してしまいますね。

そんなことを考えつつ、大阪市内が大雨でもほぼ被害がないのは、地形的問題もありますが、それだけ治水にお金を遣っているというのも理由であるということを考えると、全国の河川、ダム、市町村にもお金が回るようになればなーと思います。

が、お金の問題はどうしようもないところも多々あると思うので、そもそも日本はそういう土地だと開き直るしかないのかもですね。

日本の家が木造建築で、ヨーロッパの家はレンガ造りだったのは、そもそも日本には同じ家に何世代も住むという概念がないからみたいなのをどっかで見たような。
そもそも諸行無常ベースなんでしょうね。

といろんなことを考えながら、過ごす日々。

本当に皆さんの安全と無事を願うばかり。

祈るしかできないのです。

日常

18.06.21

十代、二十代。

社会に対する違和感との葛藤だったような気がします。

お仕事柄いろんな方、特に若い方と接する機会が多く、「自分の若い頃はどうだったんだろう?」と。

社会の違和感にアホらしさを感じ、スネて、スレて生きてたような気がします。

でも、年々「どうせやるんやったら後悔しないように全力でやろう」と考えるようになり、三十代で確固たるものになって、今に至る感じです。

二十代は自分のルールを一個一個決めていく過程だったような気がします。

自分の中でルールがいくつかあって、そのうちの1つに「同情しない」というものがあります。

それは自分が同情されても嬉しくもなんともなく、時にはムカつくからです。

結局、同情って同情してる自分かわいいってことだと思ってます。(はい、スレてます)

人のことどうでもいいんじゃなくって、私なんかには同情しきれないって思ってます。

本当に阪神大震災までは、自然災害なんて自分たちには関係ないって思ってました。

東海大地震は小学○年生とかにもよく載ってましたが、ノストラダムスの大予言とかと同列でした。

いろんな天災、人災を知り、永遠なんてないし、同情してもしきれないし、自分がやるべきことはいつもと同じように生きていくことだと思っています。

これは東日本大震災のときですが、学生たちが駅前で大人数で募金してました。

募金はひとりでやって、あとのメンバーは現地に助けに行けばいいんじゃない?それって嘘じゃない?って思ってました。

これは高校ぐらいのときに見てたドラマ「この世の果て」で、妹の目が見えるように手術をさせてあげたいから角膜を買うためのお金を集めている姉への

「お姉さん、あなたの角膜をあげればいいんじゃないですか?私は船の上から浮き輪を投げて助けるような人間が大嫌いなんです。」

という医者の発言が、私の考え方を決めました。

全ては野島伸司のせいです。

というあたりから、考え方の道筋が決まっていき、今の自分がいます。

私にできることは何があっても全力でお仕事をして、社会のお役に立つことです。

その過程で支払われる税金や社会保険料を平等に分配するのは国のお仕事だと思ってますし、そこは信用するしかないです。

そんな感じです。

私の今の役目は、会社(生徒の方々、従業員)を守ること、家族を守ることなので、そこは大前提に考えます。

あとはいつもと同じく全力で日常を過ごすのみです。

人は人、自分は自分です。

ここ何年かまともにサッカーなど見てなかったのですが、地震の影響でお仕事が早く終わってしまったため、たまたま家でサッカー見れるタイミングだったのでワールドカップ見てました。

人が真剣に戦う姿はやっぱり面白いですね。

思い入れがなくても見れる。

毎日毎日いろんなことがありますが、私は私、毎日全力で生きてくのみだったりします〜。

ニチヨウビ

18.06.10

302計画

土曜日。

日曜日。

私の担当の生徒の方の多くが実際の現場で働いている方となります。

そうなのです。

「見て学べ」な業界ですし、セミナー等に行くとおおまかな話を聞けると思いますが、業務ごとに最適化されたり、その方にカスタマイズされたお話は聞けないですよね。

そこで私の登板なわけです!!(キャシーーーーーーーーン☆)

私も人様のお役に立てることがあって、生まれといてよかったと思うわけです。

ありがとう。

親父の金玉の中で私との生存競争に負け、死んでいった1億-1匹の精子たち。

「今年の福男を決める」

みたいな争いを勝ち上がり、そして43年後ぐらい、今こうして私はこのようなお仕事をしているという壮大な大河ドラマです。

デザイン、コーディング、デザインソフトの操作、WEBサイト運営、マーケティング(実際に会社をやっとりますので…)、どれかだけのスペシャリストじゃなくて、それらをリンクさせながらお話をできるのが私の強みです。

照れずに自分で言いますが。

ちなみに、うちの息子はひとりでプラレールでトーマスごっこしてるところを私に見られると照れて「バイバーイ」とパパに言います。

ひとりの世界になってるところを見られるのは恥ずかしいみたいです。

パパもそんな感じのTOO SHY SHY BOYなのですが、それでは仕事にならないのです。

そんな遠慮がちなブランディングはないのです。

さかちゅうサロン作れないのです。

ということで、会社で新しい部屋を借りたのですが、授業の合間合間でその準備中だったりします。

何するか明確に決めてない分、いろんな可能性があり。

遊んで、知らん間に成長できる場所をつくれれば、人が集まる場所をつくれればぐらいの感覚です。

とりあえず、明日は職場の歓迎会で早めの閉店ですが、ひさびさの会社の飲み会楽しみましょう〜。

風邪の方多いですが…。(圧倒的な生命力の差を見せつけながら)

デリカシー0

18.05.25

おまっとさんです。

特に書くことがないのです。

日々いろんな方(生徒の方々や従業員の方々)といろんなことをお話し、なおかつ思い立ったことを即ツイートしてしまう脳の仕様になっておりまして、あらためてブログで言うことがなかったりします。

こういう日のために取っておきのことは置いておくべきなのですが、根っからのサービス精神で相手が聞いてないことすら伝えたくなります。

「デリカシーの欠片もないですね」との烙印を新入社員に押される始末。

デ?

リ?

カ?

シ?

ー?

お母ちゃんの胎内にデリカシーを置き忘れてしまったのであろう私。

私の42年間は、そのデリカシーとやらを探し続ける愛と夢の冒険物語だったのかもしれません。

そんな感じでデリ&カシーもキャッシュ&フローもない、ないないばっかでキリがないLEVEL4な私ですが、

「生きてます!以上!」

と柴田勝頼ばりに頑固親父座りで言いたい感じです。

安心してください。

日々楽しんでます。

高校ぐらいから本気で生きることに意味を見い出せなかったり、いろんなことがアホらしくって腐りきってたわけですが、腐りきってビフィズス菌的なものに、カラダにやさしいもの、社会にやさしい何かに変わってしまったみたいです。

先週無事42歳になって、カウントダウン☆死がいよいよ本格的に始まったわけですが(東京五輪まであと何日って書いた掲示板みたいな感覚)、生きといて本当によかったと思うわけです。

いまいろんなことがあっても(社長、先生、パパ、寝るの日々なので特別な何かはないんですが)、あとから意味を見い出せる都合のいい機能を持ち合わせて生まれてきたみたいです。

全てが美しく楽しかった思い出です(そうじゃないものは「ゴミ箱を空にする」で無意識下で削除してるっぽく)。

ありがとう、お父さん、お母さん。

そんな感じで実は6月7日が会社創立記念日なのです。

この日付が思い出せなかったので、本日出社中のスタッフ全員に「うちの会社の創立記念日はいつでしょう?(法人化の方)」との質問したら、一番ベテランの浅田先生がなんと正解。

素晴らしき愛社精神。

しゃちょう特製クオカードをお送りします。

ということで、私を代表として「クラスの隅っこにいました」タイプの集合体みたいな会社だと思うのですが(ブイブイ言わせてた方がいましたらすみませぬ)、クラスの隅っこナメんなの心意気でこれからもどうにかこうにかやっていきましょう。