大阪本町制作所

[綴る]

しゃちょうのブログ

スクロール

うーん、困った。

誰に相談したらいいんだろう。

そうなんです。

誰も正解を知らないんです。

たぶん、こんなに真面目に重きを置いてスクールを運営しているデザイナーは日本で私だけなのです。

ということで、なるようにしかならないwithなるようにやっていくしかないわけで、たいして困ってもないんですがそんな私の今の生業の原点を。

今日、ジムに退会届を出してきたのですが、私の考え方の原点であり、シンボル的スポットだったので寂しくもあり。

さておき、

「正しいカラダの使い方をカラダに覚えましょう」

なジムでした。

今まで運動神経というセンスのせいにして逃げてた自分の能力不足と初めて向き合えた場所でした。

ただコツを掴むのが苦手なだけで、そのための努力をそもそも怠っていた。

それが自分が人並以下の運動能力の理由。

今、私が運営しているスクールってのは、カラダの使い方を教えるか、デザインソフトと脳みその使い方を教えるかだけの違いで基本的な発想はそこから来てます。

自分のカラダと向き合ってきた10年ほどの日々。

社会的価値は0なのですが、それをムダにしたくはないと思ってて、今偶然と偶然により、その経験によりおまんま食べてます。

その経験が自分の武器や社会的アドバンテージになってると思います。

いろいろ試してみる。

何千、何万…。

そしたら、いずれきっかけに出会います。

数やってたら段々うまくなるんじゃなくて、きっかけに出会える可能性が高くなるということだと思ってます。

きっかけに出会う前に、きっかけに出会える数を経てない中で、自分の能力に勝手に限界値を決めてしまって、諦めてしまう方々を見るのもお仕事のひとつですが、すごいもったいないと思っています。

そりゃ、時間割くんだからめんどくさいですよ。

私がずっとジム行ってたのはズルしたかったからです。

人が練習のない日にのんびりしてる間に練習してたら、人より成長できるわけだから、他人が休んでいる間にどれだけズルできるかだと思ってました。

東京で仕事してて大阪にずっと戻りたいっって思ってたのも

「桜川のジムでトレーニングしたい」

という思いからでした。

でも、いざ大阪に戻るとその思いもなかなか実現せず、起業してやっとこさ昨年に再入会したのですが、当時とは違う意味で私がやらないといけないことも増え。

このペースで仕事ができるのは自分の精神的、肉体的にもあと1年ぐらいかなって思ってます。

基本飽き性ですし。

自分がやりたいこと、自分がワクワクすることの足し算で、自分の仕事を形成していく状況を少しでも早くつくって、再入会して、その時はもう一回人生で一番よかった時のカラダを取り戻そうっていうのが今のモチベーションです。

しばらく、おやすみ〜。

涙くんこんにちわ。

不定期開催される脳内カオス祭。

尾崎豊ばりに

何が正しいのか。

自由とはいったい何なんだ。

DAOKOって誰なんだ。

なんで大山が新人王投票で2位なんだ。

いろんな疑問が交差し始め、脳内会議がああでもないこうでもないと繰り返される。

40越えて思うのは、自分をどうこうするってのはすごい簡単なこと。

難しいのが人をどうこうするってこと。

それは広告という広い範囲になった方がよりシンプルなんですが、個々人という単位になると難しくなるな、と。

結局、自分の問題でしょ。

自分のことって。

今の自分の居場所、能力、収入。

それは全て自分の取捨選択の結果。

結論、自分が一番いいと思ってきたことの積み重ね。

私、一個人としてはそれだけで全てが解決する。

自分がどうにかしないといけないし、自分をどうにかしないといけない。

人との関係を切る、切りまくる、そんなことは生きていく中でザラ。

全ての人にいい顔できないし、する意味もない。

ということで、ここ最近私の脳内会議の議論を。

○デザインが面白くない問題。

これは急に結果として出にくい、非常にあいまいなものだから。

これは私が常日頃戦うやるせなさでもありますが、資本主義社会の中に社会主義的思想がはびこるのが日本社会の抱える歪み。

企業、経営者には資本主義社会の論理を求める。

競争。

競争に負けたら死しかない。

弱肉強食。

これが労働者側になると社会主義社会の論理に支配される。

でも、日本は資本主義社会なので、基本働くということはどこかで競争に参加することなんです。

競うということは、誰かに勝たないといけないのです。

もしくは人がしたくないことを頑張るか。

他の人ができないことするか、やりたくないことをできるか。

それが社会的な希少価値になって見返りとしてのお金に変わり、選択肢の多い人生に変わるのです。

即席で誰がやってもできることをやって競争に勝てるのでしょうか?

そういう社会は恥を知らずに人としてルールを度外視できる人、もしくはもともとの地頭がいい人が勝つゲームです。

そうならないように学んでいるわけですし、そのためにはめちゃくちゃ頑張ったらギリギリ登れそうな壁を試行錯誤しながら乗り越えていくことの繰り返しになるのが当たり前ではないかな、と。

自分の言い分を社会に聞いてもらいたいなら、社会に対してきちんと参加しないといけない、それはすなわち競争社会に参加するということです。

本来。

本来の延長線上でいうと、デザインっていうのは本来人に伝えるものです。

ということは、「めっちゃこれを伝えたい」っていう思いがないといけないんです。

「就職するためにデザインをする」というモチベーションは、そもそもの向かっている方向が違うわけだから、「めっちゃ伝わるデザイン」になるわけはないんです。

どれだけ広告主になりきって、広告主と同じぐらいの思いを持って「めっちゃ伝えたい」って思えるかどうか。

それがデザイナーとしての第一歩です。

○就職問題

順調に就職できてる方。

就活中で就活でうまくいってない方。

就活を前にして辛そうな方。

おかげさまで順調な方が多いのですが、うまくいかない方もいらっしゃいます。

ここで再び企業の倫理を登場させますね。

まず、雇用というものは非常に不確かなものなんです。

私はゼロベースで全く知らない方をイチから採用するということは今のところやってません。

今後もできるだけやりたくありません。

リスク高すぎます。

私、一緒にいてめんどくさい人、うっとおしい人と一緒に働きたいと思いません。

いくら優秀な方でも。

面接という一回、二回会っただけで、人のことを識別できるほどの能力も持ち合わせていません。

これは私の方法論なのですが、オープンに人材募集をかけるのが一般的な日本企業です。

というときに、どういう基準で採用するでしょうか?

まず、絶対条件が「辞めない人」です。

それはこれまでの経歴や、デザインへの思いから判断するしかないでしょう。

プラス「今すぐ戦力になって企業にプラスを産み出せる方」。

即採用。

「半年以内にはプラスを産み出せる方」

こちらもおおよそ採用。

でも、こういう方は稀です。

ソフトの操作、コーディングはできても、デザインっていうのは非常に曖昧なものなので、いきなりデザインをビシバシやってしまう方に私は一度もお会いしたことがありません。

年数、試行錯誤の回数、デザインを見る目の能力の向上、それがないと表現できないことなんだと思います。

果てしない道。

ということで、

「この人にはたくさん失敗させたら、いつか企業にプラスを産み出せる方になる」

と思わせられるかどうかが採用基準になるのではないでしょうか?

すなわち、

「たくさん失敗させてもいい」

って思わせないといけないんです。

人から愛される力って私は表現してますが、人に可愛がってもらうことって必要なです。

プラスを産む力がない間は特に。

こんなこと書いてる私自身も社会の中においてはミクロな存在なわけなので、ある程度愛されないとチャンスすらもらえないわけです。

苦手ですけど、たまに奇特な人間同士で気が合うこと、可愛がってもらええることはあるみたいです。

ギリセーフ。

社会に迎合したくなければ、迎合しなくてもいいビジネスを考えて、それで社会に参加すればいいだけ。

私の知り合いにもそういう人います。

それはそれで生き方なんで全然OKだと思います。

ということで、 他にも言いたいことがあったような気もしますが、こんな感じで私の脳内モヤモヤ会議の一部を文字列化してみました。

個人的にいろいろやってみたいことは出てきているので、早いこと時間つくれる状況をつくって、やってこうと思ってます。

ほな。

近しい方が39歳の若さで亡くなってしまい、不謹慎ながらいろいろ考えるきっかけになりました。

私も過剰労働時間フォルダの一員だと思いますが、食べて、寝て、たいした病気にもならず(首がかゆいとか程度)。

仕事の中でガマンしないといけないこともあるわけですが、「じゃ、それをどうしたらガマンしなくていい方向に持っていけるか?」を考えるのが自分の仕事ですし、全てが自分にとって都合がいいようにいくわけもないんだから、ガマンできる範囲のガマンはしたらいいんです。

あっつあつのロウを垂らされる→仕事だからガマンする。

そういう仕事でもないですし、癖もないですし。

ガマンできない範囲は切ればいい話。

いやぁ、社長業って素敵。

そこだけは素敵。

そんな感じで社会の中で生きていくにあたり溜めちゃう人が多いんだろう、それが心の病や肉体的な病を導くことが多いのかなと思ったわけです。

そんなもん全部出しちゃえばいいじゃん。

無人島でひとりラクラクと過ごせばいいじゃん。

ドラえもんで無人島で髭ボーボーになってお昼寝してるのび太を何度も見たじゃん。

と、熱くなってくると横浜に住む甥っ子姪っ子の言葉が移ってしまうのですが、私が言いたいことはそういうことです。

ガマンすなです。

見て、聞いて、触って、におって(私は無理だけど)、感じる。

いろんなものをインプットする。

話して、書いて、動いて、汗かいて、排泄して。

いろんなものをアウトプットする。

そういう流れの中で生きていければ、溜まるものも溜まらないんじゃないのだろうか。

そんなことを考える11月9日。

1年経つんはやっ。

そんな感じで「自分が目指す一番かっこいい自分像」をイメージし、そのイメージに基づいて社会の中で自分を演じてたら、時間、拘束、嫌ごとを上回るスッキリとした何かや覚悟が生まれて、美味しいもん食べて、たくさん人と話して、スヤスヤと寝れるのではないでしょうか。

と思う私は単なる鈍感さんなんでしょう。

出張のはずがキャンセルになってしまったので、そのままお仕事お休みいただきました。

3日間。

神が与えた安息日。

寝る。

グータラする。

無気力エブリデイ。

エブリナイ。

2日連続で整骨院に行ったり、日本シリーズをほぼほぼ見たり、普段ほとんど見ない横浜の選手の顔覚えたり。

オヤスミ最終日の本日は奥さんのじいさんの法事に行き、息子と同じ顔、パパに似てブサイクとイジられまくりながら、全力の婿殿オリジナルスマイルで乗り切ったりとそんな感じでリフレッシュしたわけです。

そんな中、我が家では「息子を保育園に預けよう」と夫婦会議で決議され、嫁さんが公園で見てて「保育士さんたちが多くてすごい優しいの♡」と大絶賛の徒歩50歩ぐらいの近所の保育園見学へ。

いろいろお話を聞き、区役所にもお話を聞き。

・近所の保育園は我が夫婦の理想の保育園だが、来年早々までしか見てもらえないかもしれない

・区役所の言い分は「西区は保育園激戦区だから、どこそこと選んでるヒマはない。認可外は高いから安く済ませるべき。」

惑う我が夫婦。

下世話な話ですが、

・月3万円でよくわからない保育園

・月6万円で安心して育ててくれる保育園

我が夫妻は後者しか選択肢がないのです。

月3万円足りないなら、夫婦でその分働いたらいいのです。

なんか「こどもを時間内預かったらどこでも一緒」な発想が気持ち悪いのです。

私は変な教育法や教育論なんて要らないと思うんですけど、ただ単に息子が自分の好奇心に対して純粋に行動できて、社会の中で自分がどうあるべきかきっちり自己判断できて、健康にすくすく育って欲しいと思うだけなのです。

だから、そういう理念を持ってる保育園に預けたいと思うわけです。

認可とか非認可とかどうでもいいです。

私も学校を運営してて、意味のある教育とはを日々考え、教えるということの重みを理解しているスタッフを揃え、育てっていう中で生きている人間です。

たぶん、一般的な同い年ぐらいの方や、同じような環境の方より、そのために自己のことを犠牲にしていることは多いんじゃないかと思います。

立派な商人にならないと会社を持続していけいない、強いては皆さんに迷惑をかけてしまうことになるのですが、商人の前に教育者としてどうあるべきかが優先されます。

デザインというものはその中で私やうちの会社の武器だって思ってます。

そんな感じで教育って、数の論理や、親が働くために一時的に預かってくれたらいいってそういうものじゃないと思うんですけどね。

小学校に入るまでは親が無理に教えなくたって、生きてるだけでたくさんのことを学んでいけると思います。

ずっと遊び続けていく中で、どんどんいろんなこと学んでいっている最中です。

そこで自分で動き、自分で見つけ、自分で考えていける子になっていって欲しいし、そのための教育をしている保育園に入れたいと思うだけです。

認可はほとんど入れないらしいし、入れたら設けもんシステムなので、非認可で全然OKなのですが、近所の保育園はどこもイングリッシュ保育園ばかり。

私にはそういうサエコ的発想がないですし(私自身が英会話9年やってましたが、英会話能力0ですし)。

公園でマルムシ追っかけてる方がはるかに勉強になるって考えです。

なんかいちいち社会に違和感感じてしまう困ったパパでした。

歴史に残りたい。

男の星座に生まれたからには歴史に名を残したい。

歴史の教科書に登場したい。

暇を持て余した未来のティーンネイジャーたちに頭頂部にチューリップとかを書かれてもいい。

歴史の教科書に登場したい。

2012年 江戸堀日記/坂元 剛

将来、私のブログが鴨長明、吉田兼好、紀貫之らと同等の扱いを受ける。

考えるだけでエクスタシーなわけです。

そんなことを考えてしまう木曜日。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

先日、当スクールでは「先輩のお話を聞く会。ママさんフリーランスデザイナーさんの話を聞く回。」という熱のこもった会を開催しました。

転職先、結婚、もろもろ実際問題やってみないとわからないこと。

人によって見え方、感じ方が変わるのは当然ですが、ひとりの人の見えてる世界、生きている世界を感じてもらえれば、不明確な未来が少しでも明確になっていくだろう、と。

未来というのは自分がつくっていけばいい話なのですが、ほとんどの方は社会の中で自分をつくっていくわけです。

社会に自分をあてはめていく作業が必要になるわけで。

社会の中での選択肢は自分の価値が高いほど、多くなると思います。

いかに社会にとってプラスを生み出せる人になっていくかです。

こういう会もそうですし、いろんな人と話をすること。

そこから1個でも新しいものが見えて、自分が変化していけるなら、その1個が財産となり、自分の武器となるでしょう。

前を向いていく人を育てていくことが、教育機関を運営する者や、会社を運営し人財育成していく者としての使命だと思っています。

も含めて、単純に自分が興味がある。

ママさんデザイナーの話に生徒の皆さんは興味があるのか。

フリーランスのお仕事に生徒の皆さんは興味があるのか。

フリーランスのデザイン業務って、実際どんな感じでお仕事が進んでいくのか。
(私の周りにも何人かフリーランスの方がいますが、人によってやってる仕事も状況も違うので)

うちの同じぐらいのお子さんがいて、主婦業とどういう風に両立させているのか?
(家で育児に無協力と評されておりますし)

そもそもセミナーをしていただいた加藤さんがどういう方で何を考えて、今後どうなっていきたいのか?

単純に自分が知りたかった。

そんなわけで人のお話を聞くと、いろいろ自分自身のことを考えるいい機会になるわけです。

「学びたい人が学べる場所」

「成長したい人が成長する場所」

をつくっていくのが自分の仕事であり、社会的役割だと思ってます。

での、今後ともそっち方面に直結することならどんどんやっていきたいと思います。

おしまい。


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